「教会とSDGs あなたのお金を何に使いますか?」マタイによる福音書25章14節~30節

だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。    マタイによる福音書25章29節

 

今月は教会とSDGsという不思議な組み合わせを見つめています。でもこの17個の目標は単なる目標ではなく、わたしたちにとっては17個の“祈り”です。今日はSDGsの中の10番「人や国の不平等をなくそう」について考えます。

SDGsは個人や国だけに行動を求めるものではありません。特に企業には環境、社会、統治の3の責任が問われています。企業はただ利益追求をすること、自分たちの企業が大きくなることだけを考えていてはいけないのです。誰かの涙の上に、お金を積み上げていないか――それを問うのです

今日はタラントンのたとえからSDGsを考えます。あるとき主人が3人の僕に大金を預けました。そして増えた僕と、増えなかった僕がいたという物語です。この個所は教会では長らく「あなたの中に眠るものを、土の中に眠らせないで使いなさい」と教えてきました。でも今日はSDGsの視点で読みたいと思います。

短期間で資産を倍にするには、まっとうな方法ではできません。利回りの良い投資は不動産投資です。災害や戦争の混乱の中で、土地を安く買いたたき、利益をだしました。でもこれでいいのでしょうか?これはSDGSな持続的な社会でしょうか?先祖から受け継いだ嗣業の土地を、災害や戦争で手放さざるをえない人がいました。そのような何も手元になくなって、イエスに従おうとした人が大勢いました。イエスはこのような資産の倍増を見習うべき話として語ったのでしょうか?この時、どこにお金をもっていっても、人々を苦しめる元手になったのです。彼は勇気ある決断をしました。倫理的で持続可能な判断。それは、どこにも使わない。それを土に埋める。そんな決断でした。それは搾取への静かな反逆でした。周りの人間は自分の利益だけを求めて、商売をしています。でも私は嫌だ。それに抵抗する。自分の利益だけを求めるやり方をやめたのです。

彼はどうなったでしょう。彼は追い出され、自分の土地を持たない農民と同じように困窮する者になりました。人々と共に歯を食いしばり、共に涙する、それを彼は選んだのです。14節にはこの例え話は天の国のたとえだとあります。天の国はこんな風に頑張った人が入る場所なのですか?もっているものを増やした人がいくところが、天の国ですか?この物語で、すべての人が受け入れられる場所を目指したのは誰か。それはこの3人目の僕ではないでしょうか。彼は人と共に生きる道を選んだのです。そして暗闇の中で、共に歯ぎしりしながら、共に涙し、共にもがいて生きたのです。天の国はそのような共感共苦の中にあるのではないでしょうか?

お金を増やすことよりももっと大事なものがある。もっているものを誰か、困っている人、仲間のために使いたい。みんなの希望につながるなら減ってもいい。それが天の国なのではないのでしょうか。あなたなら、どう生きるでしょうか?それぞれにこのみ言葉を思い巡らせる時を持ちましょう。1分間の黙想の時を持ちます。