イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 ヨハネによる福音書21章5節
多くの方の、支えによって教会が守られたこと、休暇を頂いたことを感謝しています。本当にありがとうございました。11月末に連盟理事会から平塚教会プロジェクト・否決という連絡を受け、心がぽきっと折れるような感覚がありました。そして休暇を頂くことになりました。私は「誰かと一緒に食事をしよう」と決めました。
いろいろな人と一緒に食事をしていると、自分も心折れてないで、前を向いて一歩、歩み出そうと思えるようになりました。もう一度ここから始めよう、再スタートしようと思えたのです。それは私にとって回復の時、原点回帰する機会でした。
この経験のあと、今日の聖書を読みました。不思議なことに、弟子たちの気持ちが分かるような気がしてきました。
イエスの十字架は弟子たちの心をぽっきりと折りました。イエスは3日後にはもう、弟子たちの前に復活しました。しかし弟子たちはすぐに積極的な宣教を始めたわけではありませんでした。ただ弱かったからではありません。弟子たちは、大きなストレスから心を回復させてゆくために、相当の時間と環境が必要でした。弟子たちはその傷から心を回復するために、一度ガリラヤに戻る必要があったのです。弟子たちはそこで、原点回帰を体験しました。
そしてそこにイエスが登場します。小さな声で優しく聞きます「朝ご飯は食べた?」イエスはそんな風にさりげなく登場します。そしてイエスは漁師たちの冷えた体を、炭火を起こして待っていました。聖書には、たった2回だけ炭火という言葉が登場します。1回目の炭火が登場するのは、ペテロが「イエスなんて知らない」と言ったあの夜のことです。そして炭火が再び登場するのが今日の場面です。この後、炭火の前でイエスへの愛を三度、誓うことになります。イエスの期待はペテロが炭火の前で自分の痛みを、もう一度主の前に差しだすことでした。そしてイエスの期待はペテロがそこから回復し、再スタートすることでした。
今日の場面の食事、これはただの食事ではありません。それは折れた心を回復させるための食事だったのです。これは冷えた体を温め、疲れた体を癒す、回復の食事でした。そしてもう一度、愛そうとする、立ち上がろうとする、心を回復させる食事でした。そしてイエスとの関係を回復させる食事でした。
イエスのあり方から私たちの生き方を考えましょう。イエスの寄り添い方に注目します。イエスはあなたが前に進めないとき、そっとあなたに現れて、あなたを励まし、回復させ、また送り出してくださるお方です。
私たちは疲れている人がいる時どのように関わるでしょうか?私たちは心折れた人の側にそっといること、ただ一緒に食事を囲むこと、誰かに温かさを届けるような生き方、誰かと絆を確認するような生き方ができるでしょうか?私はこの物語に押し出されて、人生をもう一度スタートをしたいと思っています。お祈りします。
