与えられた時間を賢く用いよう

以前、ある新聞社が「私たちの暮らしを変えたもの」というアンケートを採ったところ、一位はコンビニ、二位は携帯電話、三位はインターネット、四位はテレビ、という結果が出た。私はこれに「車」を加えたい。どれも速くて便利なところが共通している。

 様々な情報やサービスが速く、いつでも、身近で受け取ることができる。これらのものは確かに私たちの暮らしを変えた。それを象徴するように、ある会社の広告に、「買ったのは私の時間です」というコピーがあった。便利になることで時間に余裕ができた。ところがそうやって手に入れた時間を、私たちは何に使っているだろうか。世論調査によると、家庭での親子の対話時間は一日平均5~10分という驚くべき結果が出ていた。

 効率性や生産性だけを考えた時間の使い方は、我が身と世界とを滅ぼす。私たちの社会に起こっている様々な異常な犯罪、人の心が不安定化し、混乱し、暴力化していくのは、速いスピードの中で非人間的な生活を強いられているからではないだろうか。

 忙しいという漢字は「心を亡くす」と書く。だから心を亡くさないうちに、忙しい生活をいったん止めて、創造主である神の前に出て心を整える必要があるだろう。それは礼拝を献げ、祈り、神を想い、自分を見つめることでもある。そこから新しく創造された生き方が生まれるだろう。真のリクレーション(re-creation)とは、遊びからでも、仕事からでもなく、礼拝から生まれる。

 礼拝は時間があるから、暇だから献げられるものではない。歴史を振り返ってみれば、信仰の先達たちが大変な戦いの中で、礼拝を守ってきたことがわかる。今日も礼拝を守ることは戦いを要する。

 「時をよく用いなさい」(エフェソ5:16)とは、工夫して「時間を買い取る」こと。人生は短い。一回一回の礼拝を大切にし、心静めて御言葉を聴き、神の前に祈り、隣人に仕えるために、与えられた時間を賢く用いたい。