収穫感謝に思う

秋は実りと収穫の季節です。私たちの教会では11月の第3主日を収穫感謝の礼拝として守り、感謝の食事会をします。教会でのこの習慣は、直接的にはアメリカの教会から伝えられたものです。

  北アメリカに移住した最初のピューリタン(清教徒)たちは厳しい自然環境の中で、先住民の援助を受けながら移住地での最初の収穫の季節を迎えました。それまでに死んだ多くの仲間がいたと言われます。しかし彼らは、最初の収穫を得た時、それを捧げて神様に感謝しました。季節は11月の下旬で、以来アメリカの教会ではこの時期に収穫感謝祭を祝うようになりました。

  しかし、収穫感謝祭は、もっと広く多くの教会で、古くから祝われてきました。ヨーロッパやイギリスの教会では9月下旬に祝っています。さらに言えば、すでに旧約聖書の時代からイスラエルの民は収穫感謝祭を祝っていました。ペンテコステ(五旬節)の祝日は聖霊降臨日になる以前は小麦の収穫感謝の日でした。

  「感謝」と題する素敵な文章があります。以前紹介したことがあるものです。「幸せなことがあれば感謝するのは当然ですが、もしそれだけのことなら、感謝とは、自分にとって幸せか否かだけで人生を選別する、まことに身勝手な感情に過ぎないことになります。しかし感謝とは、そんな自分本位の小さな感情ではない筈です。それは、人生の大きな包容の中にある自分を発見することなのです。それは一つの自己発見であって、幸福に誘発された感情ではないのです。そして、幸・不幸を越えて包容する大きな肯定の中に自分を発見した人は、すべての事態を受けとめるでしょう。感謝する人は逃げない人です。」(藤木正三著『断層 神の風景-人間と世間』から)

 私たちが、今与えられているもの、またこれまで備えられてきたものすべてに感謝する心を持つことは、とても大切であります。そんな感謝の心が、私たちに生きる力、困難を乗り越えていく力を与えてくれるのではないだでしょうか。