離れて見る 

離れて見る。そうして見えてくるもの、気づくものがある。ときに離れて見ることは人生において必要。日常生活から離れ、非日常の時と場所に身を置くのだ。たとえば映画やコンサートに行く、旅をするなどは手軽な手段だ。日本を離れ海外へ旅するのもいい。家庭や職場から一時離れる。教会の礼拝に出席することは、まさに日常生活の場所、時間から離れて、自らを見る大切な時間となるだろう。

 個人のレベルだけではない。人類史上初めて自らの住む地球を離れて、自らの星を一つの対象として眺めるという体験をした宇宙飛行士。彼らの感想をまとめると次のようになるという。①この神秘的な、青く美しい、いのちあふれる星が、暗黒の宇宙のただ中に存在するのはまさに奇跡であり、とても偶然とは思えない。②それは一つの小さな星であり、もとより国境などのない星だ。人類はたった一つの乗り物に乗った運命共同体であり、争うことはむなしい。③その環境は非常にもろく、壊れやすく、はかない星であり、次の世代のためにこの星をあるがままの状態で守ることは、すべてにまさる急務だ(『星言葉』晴佐久昌英著 女子パウロ会 1997)。

 これらは、当たり前といってしまえばその通りだが、その当たり前のことに気づくために、人類ははるばる宇宙へ飛び立たなければとならなかったということだ。何かおかしいと感じていても、そのただ中にいるうちは、なかなか気づきにくい。自らの国や文化、仕事や家庭など、愛する対象を離れて眺めるまなざしを持ちたい。愛するがゆえに離れる勇気もときにはほしい。

 愛は、対象への盲目的埋没ではない。むしろ愛は、「私とあなた」を縛り付ける惰性と依存を振り切って、「本当のあなた」が見えるところに身をおいてこそ獲得できるのだ。子離れ、親離れ、時には夫離れ、妻離れも必要だろう。金離れ、物欲離れも必要か。あなたは離れられますか?

平塚バプテスト教会

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