八木重吉の詩

大学の時、いつも八木重吉の詩集を持ち歩いていた同級生がいた。八木重吉の名前は知っていたが詩は読んだことがなかった。しかし、彼の影響で読み始め、その詩のすばらしさに感動したことを覚えている。その後、全詩集も買って愛読した。

 重吉はたった5年で約三千の詩を残し、29歳の若さで亡くなった。光と闇、悲しみと喜び、一見相反するものを描いたその詩は平易な言葉でありながら、心の内に突き刺さってくる。いくつか紹介しよう。

 「ねがい」「人と人とのあひだを/美しくみよう/わたしと人とのあひだをうつくしくみよう/疲れてはならない」

 「素朴な琴」「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐へかね/琴はしづかに鳴りいだすだらう」

 八木重吉は1898年(明治31年)、現在の町田市相原町に生まれる。後に神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)、さらに東京高等師範学校の英語科を卒業し、英語教員となる。神奈川県師範学校在学中に教会(鎌倉メソジスト教会)に通いだし、21歳の時に洗礼を受ける。24歳で結婚したが、その後結核を患い、茅ケ崎の南湖院で療養生活を送っている。意外と身近なところで生涯のある時期を過ごしていることを知ると親近感がわいてくる。

 「信仰」「基督を信じて/救われるのだとおもひ/ほかのことは/何もかも忘れてしまわう」

 「神の道」「自分が/この着物さへも脱いで/乞食のようになつて/神の道にしたがわなくてもよいのか/かんがへの末は必ずここへくる」
 かなりはっきりとした、まっすぐな信仰の持ち主だったことが分かる。

 自然に託して己の心象を描いた詩もある。
 「太陽」「お前はしづんでゆく/何んにも心残りもみえぬ/何んの誇るところもみえぬ/ただ空をうつくしくみせてゐる」
 「蟲」「蟲がないている/いま ないてをかなければ/もうだめだというふうにないている/しぜんと/涙をさそわれる」

 妻・登美子の回想。「そばにいて思ったのは、有名な詩人になることなんかより、信仰を高め、神に喜ばれる人間になろうとしていた真摯な求道者って感じでしたね」。
 
 *『重吉と旅する -29歳で夭逝した魂の詩人-』(いのちのことば社)参照。