「あなたはどこにいるのか」創世記3章8-13節

創世記3章には、アダムとエバが食べてはならないと禁じられていた木の実を食べた後のことが描かれている。神の方からアダムとエバのところに近づいて来られた。アダムとエバをご自身の下に呼び寄せるためだ。しかし、アダムとエバは、主なる神の顔を避け、園の木の間に隠れたと、書いてある。すると、神が「どこにいるのか」と問われた。アダムは答える。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」。知恵の木の実を食べて、彼らは目が開けて、賢くなった。そして、目が開けて、これまで全く見えなかったものが見えた。あるいは、これまで全く気がつかなかったことに気がついたわけである。

 神が恐ろしくなった。神に対して丸裸。すべてが見られている存在と気づく。自分たちが神に対して逆らった行為がすべてばれていると気づく。とがめられるに違いない。今までは、彼らは神が近づいてきたら、おそらくそのもとに駆け寄ったと思う。ちょうど、子どもが、母親が帰ってきたら、母親の下に駆け寄るように。しかし、目が開けて、彼らは神のように賢くなって、そして、神が恐るべき存在だということが、わかるようになった。

 神のように賢くなったということは、神と対等、あるいは神の知恵と対抗できるくらいに賢くなったという意味である。今まで、神の知恵に守られ、神の知恵の下で生きてきた人間が、自分の知恵で生きるようになった。神が「こうしなさい」と言うと、人は「いや、自分はこういうふうに思うんだけども」と答え、神に「こちらに行きなさい」と言われると、人は「いや、あちらだっていいのではないか」と答える。それは、たとえて言えばこういうこと。親は自分の子どもについて、「こうしちゃいけないよ」と教える。「あっちに行ってはいけないよ」「ここは走ってはいけないよ」と。それは、子どもが心配だからだ。つまり、子どもの命を守るために禁じるわけである。あるいは「こちらへ行きなさい」と言う時には、子どもが正しく育っていくためにその道を示すわけである。

 創造された人間、神によって造られた人間は、いわば神の前には子どものような存在である。しかし、賢くなった人間は抗うのである。「そうは言うけれども、こっちの道を選んだ方がいいのではないか」「神はそういうけれども、こちらの道だっていいのではないか」「神のおっしゃることよりも、自分の考えの方が合理的ではないか」。そういうように、神と並び、そして神に対抗するようになると、神は恐ろしい存在になる。時に敵になり、嫌な存在になる。自分のしたいことをさせてくれない。だから、神が近づいたときに隠れたのである。自分が追及されるのではないかと恐れたのである。
 
 神に見られたくない、知られたくない。それが罪の罪たるゆえんなのだろう。罪の本質は、間違えたことをするというよりも、神に対して自分を隠すということである。つまずくこともあるし、失敗することもある。してはいけないことをすることもある。人を傷つけることもある。とっさに嘘をついてしまうこともある。それは誰にでもある。あるけれども、それを隠す。ごまかす。それが罪。間違いや過ち、それを認めない。間違いや過ちを抱いたままで、逃げ続ける、そして、逃げ続けることによって、その罪が人間を追い詰めていく。人間は自分の罪によって追い詰められて、行き詰ってしまう。

 キリストは言われた。「すべて疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。私たちは逃げて疲れている。言い訳して、自分を正当化し続けて、疲れてしまっている。重荷にあえいでいる。イエス・キリストは、その私たちの荷を負う救い主として、この世に来られた。私たちの罪をその体に背負い、十字架につけられ、そして私たちを受け入れ、赦す。そういうメシア、救い主。だから、何もかも打ち明けていいのだ。罪を告白してもいいのだ。その時に、神は私たちを受け入れてくださる。その時に、真っ暗いところに光が差し込む。イエスは言われた。「私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)。

 逃げ続けて、そして落ち続けていた人間が、その時初めて生きるようになる。立ち上がる。つまり、光を受けて初めて、人は生き始める。自分のことを神の前にさらして、自分が神の光に照らし出されて、初めて人はそこから生き始める。人が生きるということは、そこからしか始まらない。光をこの身に受けるというところからしか、私たちは生き始めることはできないのである。パウロは言う。「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」(ローマ13:12)。

平塚バプテスト教会

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