私の母は、私がお腹の中にいるときに教会で洗礼を受けました。ですから、私は小さい頃から教会に通い、聖書の言葉に親しんできました。旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻からなっている分厚い聖書という書物は、日本では弥生時代の頃、2000年も前に書かれたものです。それ故大変難解であるという感想をお持ちの方も少なくないと思います。けれども、聖書に書かれてあることは大変シンプルだと私は思います。聖書は最初から最後まで一貫して「神は愛である」という事を私たちに伝えようとしています。けれども「愛」という言葉がおそらく日本人には難解なのだと思います。最初に日本にキリスト教が伝えられた頃、宣教師たちは神さまからの無償の愛を表すギリシャ語の「アガペー」という言葉を「御大切に」と訳したそうです。その通り、聖書の神さまは、作られた全ての命、もちろん私たち一人一人をも掛け値なしに「御大切に」して下さる方です。
私たちはそれぞれに、自分にしか生きる事の出来ない自分の物語を生きています。けれども時に、自分の人生の物語を全く評価出来ずに「駄目な人生だ」と考える事があるのではないでしょうか。そしていつの間にか、他者の評価ばかりを気にして、人と比べて自分を見失ってしまうこともあります。あるいは他者を見て「あいつは駄目なやつだ」と見下げたりもします。もしも一度きりの人生がそのようなものであるのならば、何と辛く、厳しく、悲しく、そして寂しいものでしょうか。けれども人生はそのようなものではありません。聖書の神さまは、十字架の主イエスさまの物語を通じて、徹底して「私はあなたをとても大切に思っている、あなたは私の宝物だ」と言い抜いて下さる方です。この人生の原点を共に確認しませんか?きっと「生きるとはがばいよか!」という思いの中で他者と共に人生を歩みはじめる事となるでしょう。それこそが聖書の神さまの思いだと私は確信しています。