イブ・キャンドル礼拝「飼い葉桶のイエス様」

ルカによる福音書2章6節~7節
「ところが彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」

イエス・キリストの母マリアは旅先で出産しなければなりませんでした。どれほど不安だったでしょう。さらに彼らには泊まる宿屋すらありません。
もし、そのような妊婦が私の宿泊するホテルを訪ねているのを知ったら、私は大急ぎでその人に部屋を譲るでしょう。しかし、この時それは起きませんでした。ホテルの先客たちはそれを知らずにいたか、あるいはそれを知っても見なかったふりをしました。
イエス・キリストは人々の保護と愛情を一身に受けて生まれたとは言い難い環境に囲まれていました。彼らは仕方なく、家畜小屋で出産をすることとしました。出産に必要なものはほとんどありません。彼は「飼い葉桶」、つまり動物の餌を入れておく箱、エサ入れの中に寝かされたのです。それは動物の唾液とニオイで臭く、ひどく不衛生なものでした。そこにしか彼に居場所はなかったのです。赤ん坊がおよそ人間らしい扱いをされない場面、それが私たちが祝うクリスマスです。
この苛酷な出産の何が、孤独な出産の何が一体、喜びなのでしょうか。私たちの喜びは大いに逆説的な喜びです。素直には喜べない、この痛みと孤独、その中に私たちは希望を見つけるのです。
それはイエス・キリストは、私たちが一番状態がいい時に、私たちに訪れるのではないということを示しています。順調、健康、裕福、仲間に支えられている、イエス・キリストの誕生は全くそれとは逆の場面に起きた出来事でした。逆境、痛み、貧困、孤独のさなか、そのような中に、イエス・キリストが生まれたてきたのです。
イエス・キリストが私たちの中に生まれて来た、その喜びをここに見出します。神様と等しい方が、このような逆境と、痛みと貧困と孤独の中に生まれて来たということが喜びです。そうです、神様は私たちの遠くに、天高くいて、私たちを見下ろし、善い行いをした者にはよい出来事を、悪い行いをした人には悪い出来事を起こす、そのような方ではありません。
あなたの苦しみを知り、あなたの現実に目を向け、あなたの現実といつも共にいて下さるのがイエス・キリストなのです。皆さんにも今日、その喜びが与えられています。あなたの地上の厳しい現実の只中に、痛みの中におられるのがイエス・キリストです。あなたのその中に、神様と等しい方が生まれ、一緒に歩んでくださる、それがクリスマスの喜びです。
一緒にそのクリスマスを喜びましょう。メリークリスマス。