バプテストは民主主義「みんなで決める」を大切にする教会です。大事なことは、総会で決めます。今日の総会では執事を選ぶ選挙を行います。私たちは「“すべて”をみんなで決める」ことはできません。だから執事に多くの判断を委ねます。執事はそれだけ重い責任を担います。バプテスト教会の中で決定的に大事な役割です。大切な働きを祈りながら投票しましょう。
しかし執事の皆さんにも自分の家族、仕事、休みを大事にしてほしいと思っています。投票した皆は、何かを犠牲にしてほしいと思っていません。選ばれたあなたにできることを、出来る範囲でやって欲しい、そのことに信頼して投票をしています。あんまりプレッシャーを感じずにいきましょう。気負いせず、楽しみながらやってみませんか?
さて今日の聖書個所を見てみましょう。今日の聖書の召命物語、他の3つの福音書では、ドラマチックな献身が描かれています。イエス様の呼び掛けにペテロが網を捨てるそんな献身の姿が描かれています。しかし今日のヨハネ福音書はそういうドラマチックな献身は書かれていないのです。
アンデレがまず聞いたのは「今日どこに泊まっているのですか?」です。イエス様へのただの興味です。ナタナエルも最初から疑っています。すぐに信じて従う素直さはありません。彼が信じたのはイエス様が自分のことを「見たことある」と言ったからです。それがなんとなく嬉しくて従ったのです。この弟子たちの従う動機の頼りなさを見て下さい。立派な理由はまるでありません。彼らに覚悟とか知識は一切ありません。ただ興味があったので、ついて行ってみました様な感じです。
私たちも何で教会に来たの?と聞きます。なんとなく入ってみた、それでいいのではないでしょうか。ぶらっと来た、でもそこから始まるのです。とにかく来て見て、やってみて、イエス様と一緒に歩んでみる、イエス様について行ってみる、そういう始め方でいいのではないでしょうか。
イエス様も39節「来なさい、そうすればわかる」と言います。細かい動機を尋ねたり、こんな恵みがあるとか説明をしようとしません。見ればわかる、聞けばわかる、やればわかると言うのです。「くれば分かる」と言われても私たち困ってしまいますが。でもそういうことだそうです。
執事になる、それは一大決心です。だけれども「とにかくやってみましょう」「来なさい、そうすればわかる」それが神様の招きではないでしょうか。
そして今日、いろいろな方が礼拝に来られています。どうぞ構えずに、これからも教会に来てください。一緒にイエス様のこと考えてみませんか。なんか面白そうだからイエス様について行ってみませんか?わからなくてもいいのです。「行けば、わかる」そうです。
神様は「来なさい、そうすればわかる」とおっしゃいます。私もなんとなくついて行ってみようかなと思っています。