「礼拝は歌う」出エジプト15章20節~21節

私たちは今礼拝とは何かを12回シリーズで考えています。礼拝は一番大事、礼拝は順序が大事、礼拝は招き、礼拝は共同体作りとみてきました。今日は「礼拝は歌う」です。教会にはたくさんの芸術があります。この芸術たちは教会にとってそれぞれ意味があります。中でも音楽は、教会がもっとも大切にしている芸術のひとつです。

私たちはなぜ礼拝で歌を歌うのでしょうか。当初のバプテストは、礼拝で賛美を歌うかどうか熱心に議論しました。そこで指摘されるとおり、歌は危険です。歌っているうちに、いつのまにか賛美歌の対象が神様であることを忘れてしまうことが起こるからです。時には間違った目的に利用されます。

それでも私たちが礼拝の中で歌う理由の一つは、歌うことが私たちの共同体をよく現わすからです。私たちは声をお互いに合わせています。そうやってお互いに合わせることでひとつの美しいメロディーになるのです。歌を歌うことは、一つの共同体になることを示すのです。

そしてもちろんその歌は神様の素晴らしさを現わしている歌です。私たちはお互いを意識しながら、神様を素晴らしいと歌っているのです。私たちは神を讃えるために、互いの声を聞き、声を合わせ、奏楽に合わせ、神に歌うのです。それが歌う目的です。お互いの、左右の矢印と、下から上への矢印を同時に表現することができるのが賛美歌なのです。

今日の聖書の個所を見ましょう。聖書にはたくさんの芸術、特に音楽があり、いろいろな楽器が登場します。マリアムは踊りと楽器と歌で神様の素晴らしさを表現したのです。ミリアムはみんなに合わせて歌いました。そしてみんなはミリアムに合わせて歌いました。神の民のすべての人々が声を合わせて、体を動かして、神様の素晴らしさを現わしたのです。彼女たちはその踊り、叩き、歌をしっかりと神様に向けて歌いました。それは神様の素晴らしさを表し、私たちの共同体を表現していたのです。

そしてここで歌われているのは私たちの決心ではありません。神の業そのものがここで歌われているのです。決心よりもまず神様の素晴らしさを表わす、それが私たちの賛美なのです。

私たちは今集まって共に歌うことが出来ません。苦しい時にいます。でもいつか必ずまた賛美を歌うことができるようになります。その時、神様に精一杯の感謝の歌を捧げましょう。苦しい時に神様へ祈るだけではなく、乗り越える事が出来た後、、神様への感謝をまた歌で表したいのです。

私たちは一緒に新しい歌を歌いましょう。新しい歌それは、新曲という意味ではありません。それは私たちが歌う、ストレス発散の歌ではなく、それとはまったく違う新しい歌です。新しい気持ち、新しい感謝をもって歌を歌いましょう。その歌は互いの声を聞きながら、互いの命を感じながら歌いましょう。そして、なにより神様にむけて、賛美をしましょう。