【全文】「70年間のつながり」ヨハネ15章1節~17節

みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝をできること、感謝です。私たちは子どもを大切にする教会です。今日も共に礼拝をささげましょう。今日は突然のように感じるかもしれませんが、6月に行うことができなかった、創立記念礼拝、特に70年に感謝して献げる礼拝を持ちたいと思っています。

6月に予定されていた礼拝を、コロナの影響で今日に移動しました。10月に移動した理由は、特にイベントが無いからというのではなく、伝道開始が10月だったからです。実は教会組織記念日とは教会がある程度の規模や建物をもってスタートしたという日です。一方、伝道開始という日付も大事だと思います。この10月で伝道開始74年となります。また献堂も10月です。10月でこの会堂は69周年となりました。

70年誌の原稿を皆さんにお願いしています。原稿は10月25日、来週までとなっております。教会員の方、全員に原稿をお願いしています。テーマは「10年を振り返って」です。10年間は自分にとって、教会にとってどんな10年だったか、どうぞ考えてみてください。

これまでの10年、教会全体として様々なことに向き合っていったでしょう。私が勝手タイトルをつけるなら「バプテストらしさ」という10年だったのではないかと思います。一番は信仰告白を作ったことです。バプテスト教会は各個教会がそれぞれ信仰告白を持ちます。自分たちは何を信じているのか、それを言葉とすることができたことは、教会の信仰にとって大きな礎となっていると思います。転入会のクラスではこの信仰告白の学びを一番大事にしています。

信徒会を始めたこともそうでしょう。学びあい、分かち合いによって教会の歩みを決めてゆくのはバプテストの豊かさです。設備としてはこひつじ館・トイレ・エアコン・音響・ホームページが整備されました。これはただの設備という意味以上に、居場所としての教会、人が集う場所としての機能が強化されたともいえると思います。礼拝への招きと教会で過ごす時間を大切にすることができたという出来事だったのだと思います。

さらにもう10年前、2000年からの10年は「地域とともに生きる教会」という方向性だったと総会資料に書いてありました。この頃からホームレス支援を開始しています。これはその後20年で大きな働きとなり、平塚教会の特徴にもなっています。実はバプテスト連盟300以上の教会で、教会としてホームレス支援に直接かかわるのは数教会です。この時に地域とともに生きるという決定的な方向性が定まってきたと思います。この流れは今のこひつじ館の地域との関わりにもつながっている、大きな選択でした。

また2000年代は祈りを大事にする10年だったのではないでしょうか。早天祈祷会、半徹夜祈祷会、湘南平祈祷会、韓国や台湾の人々とも祈ったと聞きます。

この20年間共通すると思うのは、3つのつながりを大事にしたことです。ひとつは信仰告白など神様とのつながり、そして2つ目は祈りや信徒会、修繕など教会の中のつながり、そして3つ目はこども支援やホームレス支援など地域とのつながり。この3つのつながりを大事にし続けたことがこの20年間で共通していることだと思います。

私たちは何とかつながろうと様々な働きをしてきました。そしてその中でも一番強いつながりは神様とのつながりです。私たちが一生懸命につながった以上に、神様が私たちにつながってくださいました。それがもっとも大きな力でした。私たちはさまざまなつながりを求め、働きましたが、だれよりも神様が最も強いつながりで私たちにつながって下さっていた、それがこの20年70年だったのではないでしょうか。私たちはこのつながりなしに、どのようなつながりも持てなかったのではないでしょうか。

さあ次の10年どうなるのでしょうか?2020年から2030年に向けて何がこの教会で起こされていくのでしょうか。ここ最近で、面白そうなのはこども食堂が始まることです。そしてコロナで様々なことを考えさせられました。会堂のこどもスペース、コロナで始まったオンラインの礼拝などもあります。次の10年にわくわくしてきます。いろいろ未来への可能性と希望があると思います。そして何よりその中で神様はきっと私たちに強くつながり続けて下さることでしょう。私たちを導き支え続けてくださるでしょう。

いままで教会の歩んだ歴史、主に支えられた歴史をしっかりと見つめ、20年間、70年間大事にしてきたものを大事にしながら次の10年を迎えてゆきたいと思います。私たちが大事にしてきたものは神様とのつながり、教会員同士のつながり、地域とのつながり、この3つのつながりです。いままで大事にしてきたこのつながりを大事にし続け、次の10年を共に歩みましょう。

そして今日はこの3つのつながりについて、聖書から聞いてゆきます。この3つのつながりは偶然ではないように感じます。聖書に様々なつながりが示されている、そのうちの3つなのだと思います。聖書に示されているからこそ、私たちはこのつながりを大事にしてきたのだと思うのです。今日の聖書に聞いてゆきましょう。

今日の聖書の個所、1節~3節で神様は農夫です。イエス様はブドウの木、私たちは枝にとたとえられています。私たちは様々な活動を行い、その枝を広げてきました。そして何度も神様は私たちを手入れなさいました。神様が手入れされるとは時には剪定されることも含まれるでしょう。もっと大きな実をつけるために、神様は私たちをチョキンと剪定するのです。それでもまだまだ私たち枝は伸び続けるでしょう。そして神様にチョキチョキと手入れされ続けてゆくでしょう。そして神様はそのご自分が手入れされている教会を「清いものだ」と言ってくださいます。教会はいつの時代も神様に手入れされた清いものなのです。

4節が今日目を止めたい個所です。神様は2つのことを言ってます。一つは私につながっていなさい。もう一つは、私はつながっているということです。つながるとは日本語では細い糸をイメージするかもしれません。なんと途切れないでいる状態が「つながる」というイメージです。

しかし聖書の「つながる」は、もっと強い意味です。とどまる、中にいるという意味を持ちます。9節のとどまるも実は「つながる」と同じ単語が使われています。つまり私につながっていなさいとは、わたしにとどまりなさいということです。細い糸でつながるのではなく、身体をそこにとどめなさい、それほど強い結びつきを持ちなさいということです。

神様は私たちに「つながっていなさい」と強く命令をしています。その通りに私たちは70年間、神様になんとかつながりつづけようと歩み続けました。神様に熱心に祈ったり、信仰告白を作ったのです。70年間そのようにして、神様とつながろうとし続けてきました。まるで4節後半、風が吹いても枝が木から離れてしまわないように。神様につながろうと私たちの精一杯をささげた70年でした。

一方で4節では「つながっていなさい」の後に「つながっている」と続きます。私たちにつながりなさいと命令する一方、神様は私たちに、神様の側からもつながっているよと言うのです。私につながりなさい、そして、私からもつながっているよという関係です。私たちの側からだけではなく、神様の側からつながっていて下さるということです。そしてもちろんここの「つながる」も強い結びつきを意味します。神様の側から、私たちの内にとどまってくださる、それほどに近く強く結びついてくださるということです。

その力はきっと、私たちからつながろうとする力よりも何倍も強いものでしょう。私たちがどんななに神様から離れようとしても、神様は絶対離れない、強く結びついてくださるお方です。この70年間の私たちの努力よりも強いのは、神様からのつながりです。

そしてもしかするとその70年の間で教会から、神様から離れたと思っている人もたくさんいるでしょう。でも違います。神様はその人たちとも強くつながっています。どんなに教会や信仰から離れていても、神様の側から必ずつながっているのです。私たちは一生懸命に神様につながろうとしてきました。でもそれには限界があります。でも神様は私たちにつながって下さいます。強い結びつきから離れないと言ってくださるのです。

12節を見ましょう。今度は神様と私の関係から、私たちの同士の関係へと話が変わります。愛し合いなさいと命令されるのです。17節でももう一度言われます。私たちに互いに愛し合え、大事にしあえと命令しています。神様に大事にされている人間同士として互いをいたわりあい、優しくしあうことが求められています。

私たちは神様と結びついていればそれで良いというわけではありません。神様に結びついている者は互いに愛し合うように促されます。神様とのつながりは、他者へのつながりと広がってゆきます。それは教会員同士、そして地域との結びつきへと促されるのです。出かけて行って実を結ぶように促されます。

私たちもそうでした。神様に結ばれた70年、互いに結びついた70年、出かけて行った70年だったのではないでしょうか。

私たちは70年間一生懸命神様につながろう、神様の内にとどまろうとしてきた。そしてその70年間、神様はずっと私たちを手入れし続けてくださった。そして今の教会を、私を清い者として下さっているのです。私たちにつながり、手入れをし続けてくださった神様に感謝をします。そして私たちはこれからも愛し合いたいのです。これからの教会の10年について考えたいのです。

どう神様につながろうか、どう神様は私たちにつながってくださるのでしょうか。私たちはどう愛し合うでしょうか。私たちはどこに出かけて行って実を結ぶのでしょうか。次の10年も精一杯、枝を伸ばしてゆきたいと思います。お祈りをします。