「バプテスマって何?」マタイ3章7節~12節

今日は子ども祝福式を持ちます。大切にする子どもたちの成長は私たちにとってとてもうれしいことです。子どもたちと共に礼拝をしましょう。また今日からマタイ福音書をスタートします。この福音書の特徴は当時のユダヤ人向けに書かれたこと、「インマヌエル(神われわれとともに)」という言葉などが挙げられます。他にも平和と和解、山上の説教で愛が語られています。

今日のキーワードはバプテスマです。バプテスマは天国への切符ではありません。その後罪を犯さなくなるわけではありません。バプテスマを受けても相変わらず罪は犯し続けます。バプテスマを受けても、受けなくても全員が罪人です。しかし、同じ罪人でも違いがあると思います。バプテスマを受けた罪人はその罪を神様の前で素直に認め、悔い改める者となるのです。神様に向き合い、神様の前に自分の小ささを繰り返し知る、それがバプテスマを受けた者の生き方と言えるでしょう。私たちはまだバプテスマを受けていない人にこのバプテスマを受けてほしいと願っています。神様はすべての人をその生き方に招いておられます。

さて今日の個所をお読みしましょう。バプテスマスという習慣はユダヤ教に古くからあり、それは外国人がユダヤ教に入信・改宗する時に行われるものでした。ところがバプテスマのヨハネは、外国人だけではなく、ユダヤ人もみんなバプテスマを受けなさいと言ったのです。

当時ユダヤの人々はアブラハムの血統である自分たちにだけ、神様の助けがあると考え、自負を持っていました。そんな人々に、ヨハネは9節「神はアブラハムなんぞ石ころからでもつくのだ」と言います。自分だけを神様が助けてくれる、そのように、おごりたかぶるのをやめなさいと語ったのです。

すべての人が神様に創造され、すべての人に同じように神様の恵みがあります。神の前に平等で、神様の愛は全員に等しく注ぐのです。しかし、当時のユダヤの人々はこのことを忘れてしまっていました。ヨハネが厳しく非難していることは自分だけが救われると考えることでした。そこに罪があるということです。だからこそ全員がバプテスマを受けるべきだというのです。バプテスマを受けて、その罪を差別を悔い改めて、再スタートしなさいと語っています。それが8節、実を結びなさいということです。

人間は弱い者、もみ殻です。神様はすべての人に生き方を変えるように求めています。悔い改め、具体的に実のある生き方となるように求められています。もみ殻だけど、実を結ぶ生き方を願い、今週を歩みましょう。

この後イエス様もヨハネの洗礼を受けます。自分を誇るのではなく、悔い改め、神に向けて再スタートする、そのバプテスマをイエス様も受け、地上の活動をスタートしたのです。イエス様はバプテスマを受けた者の歩みに加わって下さいます。神は私たちと共にいて下さるのです。今日もこの主の礼拝から1週間をスタートしましょう。