「神はひとりにしない」ルカ1章39節~56節

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

ルカによる福音書1章39節

 

今日はこの後、昼食会と小さな祝会を楽しみにしています。11月のバザーでは「OHANA」という団体が手芸品を販売しました。この団体は、平塚市内でDVや性暴力による被害を受けた女性を支援している団体です。先日、代表の方から「妊娠SOSかながわ」という予期しない妊娠について、電話相談ができる行政窓口を教えてもらいました。誰にも相談できない時、このような窓口があることは大切なことだと思います。ただ受付時間等に課題があるようです。話を聞くと言うことついて私たち一人一人が、それぞれの置かれた場所で、できることがあるのではないかと考えさせられました。しんどい思いをしている人に声をかけ、話をじっと聞く、仲間になることなら私にもできるのではないかと思いました。

クリスマスこそ、神様は一人にしておかないお方です。神様は私たちに共に戸惑い、喜びを分かち合うことのできる仲間を与えて下さるお方です。そして神様ご自身が共にいて下さるお方です。今日このことを聖書から読んでゆきたいのです。

聖書によればマリアも予期しない妊娠をしていました。混乱し戸惑ったのです。相談した人は離れて住む「親類」のエリザベトでした。その相談相手は行政が用意したのではなく、神様が似た境遇の相談相手として準備してくださっていたのです。

妊娠中の彼女は大急ぎで、山里に向かいました。SOSを出したのです。不安な気持ちを聞いてほしい、そう急いでエリザベトに会いに行ったのでしょう。一方のエリザベトも戸惑っていました。そんな同じ境遇の二人が出会うことになりました。マリアは今まで戸惑っていたことを、大声で喜んでくれる仲間を見つけました。エリザベトにとってもマリアは大きな励ましとなったでしょう。二人は分かち合い、励まし合うことができたのです。この仲間は確かに神様が与えて下さった仲間です。

神様はこのように私たちを一人にしないお方です。神様は戸惑う私たちを出会わせ、互いに励まし合い、分かち合うことのできる、喜び合える仲間を用意してくださるお方なのです。私たちには「あなたは神様に祝福されているよ」「なんと幸いだろうね」と言い合える仲間が与えられるのです。

私たちは今日、このようにクリスマス礼拝を迎えています。イエス様の誕生を祝う時をいただいています。神様は助け手、相談相手、同じ境遇の人と出会わせてくださるお方です。そしてそれはこの教会の交わりや、私たちのそれぞれの場所でも起こるはずです。戸惑いの中でも「祝福」と「幸い」を見つけ、共に喜び合うことができる仲間が与えられるはずです。

神様は決して私たちを一人にしないお方です。どんな時も、共に戸惑い、共に喜びを分かち合う仲間を与えて下さるお方です。そして何より神様が共にいてくれるお方です。今日その喜びを共に分かち合いましょう。