【全文】「家になってくださる神」ヨハネ14章1節~4節

みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝をできること、うれしく思います。私たちは子どもを大切にする教会です。こどもと共にこの礼拝をお献げしましょう。私たちはペンテコステまで「地域と福音」ということをテーマにみ言葉を聞いています。特に今月はこの教会がホームレスの方々から気づかされた福音について見てゆきたいと思います。先週は訪ねて下さる神、神様は私たちを訪ねて下さるお方ということをパトロール、また私たち同士が声を掛け合うことから考えました。今日はシェルターの働きから福音を考えてゆきたいと思います。

私たちの教会は住む場所を失った人たちのために、シェルターを運営しています。場所は安全のため非公表です。このシェルターは年に数回ですが利用されています。

今日は利用されたある方のお話をしたいと思います。1年ほど前です、40代の男性が教会を訪ねてこられました。住む場所と所持金を失い、3日間野宿をしている方でした。インターネットでこの教会のことを知り、相談をしたいと、この教会を訪ねてきました。

彼はこれまでの人生から話を聞かせてくれました。一生懸命仕事をしてきた人でした。たくさんの資格を持っていました。彼はずっと寮付きの工場で仕事をしていました。一旦そこでの仕事、契約期間が終わると、彼はいつも次の寮付きの職場を捜していました。そのように働き続け、いろいろな場所に住み、働くのは、充実していたそうです。しかし、今回はなかなか次の仕事を見つけることができませんでした。彼はその期間ネットカフェを転々としていました。そして、とうとう所持金が無くなってしまい、2月の寒い日、初めての野宿を経験しました。とても寒く一睡もできなかったそうです。役所に支援を求めたこともありましたが、窓口で冷たい対応を受け、支援は受けられませんでした。

行き詰まった彼は、自分は社会から必要とされていないと感じたと言います。死にたいと思う様になりました。そして生まれ育った町にあった、海を思い出したそうです。死ぬ前にもう一度、海を見ようと平塚に来たのです。でも彼は死にきれず、教会に助けを求めました。

教会に来た彼は今の苦しみを堰を切ったように私に話をしてくれました。彼は誰かと会話すること自体が久しぶりだったそうです。そしてこんな風に誰かに身の上を話して「助けて欲しい」と言うのも、もちろん初めてでした。

「相談する人がいなくて気が滅入っています」「今ならホームレスが怠けているわけではないことがわかります」そんな思いと身の上を2時間ほど話し続けた後、彼は「今日一日泊めて欲しい」と言いました。もう一日も野宿をするのは嫌だ。今まで誰にも迷惑をかけずに、一人でできるところまでやって来たつもりです。でももう無理です。最後の望みを持って教会に来たんです。自分には誰かの助けが必要なのです。だから今日一泊、泊めて下さい」最後は泣きながら訴えました。

私は彼の宿泊を引き受けることにしました。そして翌朝、一緒に市役所に行き、改めて事情を説明し、自立のための施設に住むことになりました。彼と話していて様々なことを感じました。一番強く感じたのは単純な事です。私たちには家が必要なのだということです。そしてもう一つは、私たちは自分を助けてくれる人、精神的な支えになってくれる人が必要なのだということです。

人は誰も家無しに、そして支え無しに生きることはできません。家の無い人に、助けの無い人に、私たちが出来ることをしてゆくことが、一緒に生きる、共に命を生きるという事につながるのだと思いました。そして、それは彼が私に教えてくれたことだと思います。

教会がこのシェルターの働きを、神様の働きとして担っていくことはとても大切なことだと思います。一泊ですが教会は彼の「家」になれた事、彼が前を向いて、生きようと、神様の働きを少しだけ手伝うことが出来たことをうれしく思います。そしてこのコロナの中で生活に行き詰る人、家を失う人も増えています。家の無い人、助け手の必要な人を覚えたいと思います。

私たちは誰でも具体的に住む家と、心の支えを必要としています。それは何かに困っているかどうかは関係なく、すべての人がそれを必要としています。私は、すべての人にそれが与えられるように、神様に祈り、神様の働きとして、それに関わってゆきたいと思っています。

今日聖書から、神様は家になって下さるお方だということを読んでゆきたいと思います。神様は私たちに家、住む場所、留まる場所を与えて下さるお方です。そして神様は私たちの心の居場所、拠り所となってくださる、その事を見てゆきたいと思います。

今日の個所を改めてみてゆきましょう。2節にはこうあります「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」この言葉に目が留まります。聖書によれば、神様のところには、私たちが住む家がたくさんあるそうです。そしてもし足りなければ神様はまた作ってくださるそうです。

そしてさらに3節にはこうあります。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」。神様は迎えるための家を作った後、家の無い人を迎えに行って下さるお方です。そしてその家に招き入れてくださるのです。それが神様の働きです。なんと、準備して待っているだけではなく、ここがあなたの家だよと招き、迎えに行って下さるお方だというのです。

私は神様のこの姿に、とても勇気をもらいます。これこそ私たちが実現しようと目指す、すべての人に家があるという世界です。

今この時代こそ、本当に聖書に書いてある通りの出来事が起きて欲しいと願います。今この社会を、神様の示す姿に変えてゆきたいと思います。すべての人に家を、住宅をと、いま切に願います。

住居の無い人のために家があること、もし足りなければ作ること、困っている人を迎えに行って、どうぞここで過ごして下さいと言える世界、本当にそのような世界になって欲しいと願います。

そして教会がそれを少しでも実現できたらと思います。教会は住む場所を失った人を、また住む場所を得るまで、本当に短い期間ですがシェルターをご用意します。大変なことはたくさんありますが、これを神様の働きとして続けてゆきたいと思っています。

神様は私たちに家を用意して下さるお方です。教会はシェルターの働きを小さくとも続けたいと思います。教会はみんなの「家」になりたいのです。教会は泊まる場所の無いときの家になってゆきたいのです。神様が家に迎えて下さるその働きが、私たちの教会のしているシェルターの働きではないでしょうか。

してもちろんこの個所は住む住宅のことだけを言っているのではないという事も見ましょう。神様が私たちに心の家を与えてくださる、心の家になってくださるということもここで示されています。

私たちに必要なのは住宅だけではありません。相談できる人、安心できる場所、心を休めることが出来る場所、心の家となる場所が必要です。

今日ここにいる方の多くの人は住む場所があるでしょう。神様は住む場所を下さると言われてもピンとこないかもしれません。でもたとえ家があったとしても、安心して過ごすことができる場所が無い人は多くいます。私たちがStayHomeしていても、安心できないのと同じです。住宅があれば良いわけではありません。

私たちには住宅と共に、心・魂が安心して過ごせる場所が必要です。私たちには住宅があっても、心の家が必要です。私たちの人生には様々な出来事が起こります。私たちはその時どこかで、人生の寒さをしのぎ、人生の雨風をしのがなければなりません。人生の休息の場所が必要です。私たちは住宅が無ければ、生きていけないように、そのような心の家となる場所、心・魂が安心して過ごせる場所が必要です。それが無ければ、生きてゆく事ができません。

神様はその家、心の家にもなって下さるお方です。神の家にいるから、私たちは人生の苦しさを乗り越える事がきるのでしょう。実に神様は家の無い人に家・住宅を準備してくださるお方です。そして神様は私たちの家、私たちの心の家・魂の家となって下さるお方でもあります。私たちが、生きていくためには必ず家・住宅が必要なように、私たちが生きていくために必ず神様、心の家が必要なのです。神様はその両方を準備してくださるお方です。

1節には「神を信じなさい、イエスを信じなさい」とあります。神様が、住む場所を必ず与えてくださる、そう信じましょう。神様は必ずこの地上で住む場所を与えてくださるのです。そしてもうひとつ、神様は私たちの心の家・魂の家になって下さるお方です。そこで私たちは心を休めます。神様が家となられ、心配しないでいいよ、大丈夫だよ、すこしここで休みなさい。そう私たちを守って下さるのです。そのことを信じましょう。

4節には私たちはすでにイエス様の道を知っているとあります。そうです私たちはこのような神様の姿、イエス様の姿を今日すでに知っています。神様は私たちの家になって下さると知っているのです。

教会は家の無い人のために、シェルターを開いてゆきましょう。短い時間ですが、ここで休息をしてもらいましょう。そして私たちも、神様の家に留まりましょう。そこで安心して過ごし、休憩し、歩みましょう。お祈りいたします。