「ママ友の祈り」ルカ1章39~56節

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

ルカによる福音書1章39節

 

私たちはこどもを大切にする教会です。今年も教会にはたくさんのこどもたちとママたちが訪ねてくれました。教会での様子を見ていると、ママ友の絆は強いものだと感じます。ママ友には子育てという共通のミッションがあり、共通の悩みがあります。こどもの成長の事や食事のこと、夫のグチを言い合っています。未来のことも話題になります。ママ友に限らず大人は、こどもが身近にいることで、未来や社会がより身近になります。こどもたちが私たちに、未来や社会について考えさせてくれるのです。こどもたちが身近にいると、未来への祈りが湧いてくるのです。

今日のマリアの祈りも、こどもが最も身近にいる人の祈りです。今日はこどもを通じて、私たちに与えられる祈りを聖書から見てゆきたいと思います。そしてこどもの命を喜び、未来を語ることを見てゆきたいと思います。聖書を読みましょう。

マリアはなぜエリサベトを訪問したのでしょうか。妊婦が旅先に3か月も滞在した動機を想像します。きっとマリアはママ友を訪ねるために、遠くの親族を訪ねたのです。マリアはそれほどまでにこの妊娠について、そしてこれから先のことを分かち合う仲間に会いたかったのです。マリアはママ友と話したかったのです。

二人のママ友はいろいろなことを話したでしょう。現代のママ友と同じように社会のことも話題になったはずです。将来この社会はどうなるのか。今どんな問題点があるのかを話し合ったはずです。マリアの祈り、それはママ友と過ごす時間の中で与えられた祈り「ママ友の祈り」だったのではないでしょうか。

おそらくマリアたちにとって、こどもが身近になったからこそ、社会の権力構造や格差に目が行くようになったのでしょう。こどもたちにはもっと平和で、平等な社会に育って欲しい。これはそのようなこどもたちの未来を考えた祈りです。

ある注解書を読んでいると「年若い未婚女性が社会革命を祈ったとは考えづらく、きわめて不自然である」と書いてありました。この学者は、少し想像力が足りないかもしれません。こどもが身近にいるから、未来について考えるのです。こどもが身近になると、未来への祈りが湧いてきます。神様はこのようにして、こどもを通じて、私たちに新しい祈りを与えられます。

こどもたちのための祈り、そしてこどもたちの未来への祈り、それを私たちも大切にしたいのです。そして私たちもマリアとエリサベトのように、こどもの命、こどもの声を喜びあいたいのです。マリアとエリサベトのようにこどもの命を温かく迎えたいのです。未来を共に語りあいたいのです。

私たちはこどもを大切にする教会です。こどもを大切にすると、未来を考えるようになります。来週はクリスマスです。街や教会でこどもたちの笑顔をたくさん見ることができるでしょう。その命を互いに喜びあいましょう。そして未来について祈ってゆきましょう。お祈りいたします。