「パン作りから考える生き方」ルカ13章18~21節

神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。   ルカによる福音書13章20~21節

 

4月・5月は信仰入門をテーマに宣教をしています。今日はからし種のたとえと、パン作りのたとえの話をします。これは神の国を説明するためのたとえです。神の国とは死んだ後に行く天国とは違います。神の国とは、神様が求める、理想の世界のことです。神様の願っていることが、隅々に渡って実現してゆくのが神の国です。今日はその神の国がどのように実現されてゆくのかを考えます。

からし種とはマスタードの粒です。からし種は他の植物よりも小さな種であるにも関わらず嫌われ者です。なぜなら繁殖力が高く、一粒地面に落ちると、ものすごいスピードで広がってゆくからです。イエス様は神の国を、嫌われている植物が、大きくなる様子に似ていると言います。神の国はやっかい者として、異物として始まるのです。でもそれが広がりみんなの憩いの場所となるのです。

続くのはパン作りの話です。この話は聖書には珍しく女性が主人公のたとえ話です。3サトンの粉からパンを作るとありますが、これは約100人分のパンです。34kgの粉を混ぜるのは相当な重労働です。おそらく貧しい女性か、奴隷や下働きの女性だったでしょう。神の国の実現の担い手となる女奴隷の話です。

パン種とは要は腐りかけのパンです。当時は残って腐りかけたパンを粉に混ぜてパンを発酵させたのです。これのおかげでふわふわのパンになります。聖書におけるパン種は不浄、悪、腐敗の象徴としてよく登場します。イエス様の教えた神の国とは不浄を象徴するパン種が大量の粉の中に混ぜられていくイメージです。パン種もからし種も、距離を取りたい対象です。しかし神の国では違います、神の国ではそれらは混ぜ合わされるのです。

私たちは、神の国とは汚れがなく、不純物が徹底的に取り除かれた先にあるのだと想像します。でもイエス様の神の国、神様が喜ぶ世界とは人やものが混ざり、やがて憩いの世界となるのです。

からし種とパン種を聖書の教えと置き換えてみましょう。もしかすると聖書の教えは自分とは相いれない価値観かもしれません。しかしそれから全体が変化し、神様の理想へと近づいてゆくのです。からし種とパン種をそれぞれの出会いと置き換えてみましょう。人生には自分と全然違う人との出会いがあります。私たちはそれにイライラしながら生きています。でも神様はきっと混ぜ合わせてくださるお方です。私とあの人をパン種と粉のように、どちらがパン種でどちらが粉だかはわかりませんが、神様はこの二つを混ぜ合わせ、パンとするお方です。神様は私を、私と違う人や違う教えと出会わせ、そしてまぜこぜにします。そこが神の国なのです。

私たちの次の1週間、どのように自分と違う人と共に、聖書の教えと共に、生きてゆくことができるでしょうか。それぞれの場所で神の国が実現するように願います。お祈りします。