「風まかせに生きる」使徒言行録2章1~14節

すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

使徒言行録2章4節

 

信仰入門というテーマで宣教しています。湘南の海ではウィンドサーフィンをしている人をよく見かけます。風の力だけで沖まで行くことができます。昔は風の力で世界を巡りました。風は面白い存在です。風を目で見ることはできませんが、風に動かされているものを見て、風が吹いていると分かります。風は自由自在に吹き巡ります。夜風にあたると気分が落ち着きます。風は口では説明することがでず、体験でしか伝えられないことです。このような言葉を体験的言語と言います。

聖霊はおそらくキリスト教用語で最も難しい言葉だと思います。今日は風をヒントに聖書の聖霊をご紹介します。聖霊という言葉には息や風と言う意味もあります。風は人をどこかに運び、人の気分を変え、人に刺激を与える存在です。それは聖霊も同じです。聖霊を体験するとは、私たちが神様から来た風に吹かれることです。船が帆に風を受け、世界中どこまでも行くのと同じ様に、私たちが聖霊を受けるとは私たちは大きく進むことができます。

今日の聖書箇所では聖霊に満たされた人々に不思議な力が与えられます。いろいろな言語が人々の間を飛び交いました。そして外国から来た人々が驚きました。初めて自分の言葉で神様のことを聞くことになったからです。これは実は画期的な事件です。当時、聖霊はユダヤ人だけにしか、与えられないと信じられていました。しかしこの事件がきっかけに神様の風は、聖霊は、すべての人に与えられる、すべての人に吹くとはっきりしたのです。

この風・聖霊は今日もすべての人に吹き、すべての人に注がれています。神様の風は、聖霊は皆さんにもすでに吹いていて、すでに注がれているのです。あなたが信じようが、信じまいが、すべての人がこの風・聖霊をすでに受けているのです。

この風は私たちに思いがけない方向を指し示し、方向転換を求めるときがあります。風が私たちの想いを超えて吹くこともあります。私たちには苦しい時もありますが、神様はそのような時、私たちに憩いの風を送ってくださいます。

風まかせという言葉があります。無計画でなりゆきまかせを表す言葉です。でもクリスチャンはある意味で、風まかせの生き方をする人です。クリスチャンは神様からの風・聖霊をしっかり感じて、風をしっかりととらえて、どちらに進むべきか考える人のことです。クリスチャンは神様の風がどこから来ているのか、神様の風は自分をどこに向かわせようとしているのかを五感で感じとろうとする人です。クリスチャンは神様からの風・聖霊に逆らわずに生きようとする人です。

私たちはこのような風を感じる生き方を生きたいのです。この風はすべての人にすでに与えられているものです。私たちは新しい生き方を探します。聖霊から力を受けて進みます。みなさんはすでにその風に吹かれています。その風を感じて、神様から押し出されて1週間を過ごしましょう。お祈りします。