「この先に待っている神」マタイ28章1節~10節

 

恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」   マタイ28章10節

 

マタイ福音書は神は私たちと共にいるという以外にも、様々な神様の姿を語っています。例えば、神様は先で待っているという姿です。コロナで先が見通せない時にいます。でも神様は今ここに、そして私たちが向かう先に待っているお方なのです。今日の聖書の個所を一緒に読んでゆきましょう。

墓に向かった女性たちは「イエス様はここにはいない。ガリラヤに先にいる」という天使の声を聞きました。しかし、イエス様はなぜガリラヤにいるのでしょうか。なぜエルサレムではなく、わざわざガリラヤに行くのでしょうか。ガリラヤとは弟子たちの生まれた自宅がある場所でした。弟子たちの日常生活がそこにありました。自分の職業、住所、親族が暮らす街、それがガリラヤでした。またイエス様と一緒に過ごし、様々な奇跡や、教えを聞き、共に日常を過ごした場所だったのです。

イエス様はとどまる場所に、このような日常の場所を選ぶお方です。天使たちは女性たちに、他の仲間や弟子たちと一緒にイエス様を追いかけるようにと、派遣するのです。これが先に待っている神です。

そして女性たちは急ぐ途中でガリラヤで待っているはずのイエス様に出会います。ここではいつも共にいる神と、先に待っている神が交互に現れます。彼女らはイエス様と出会ったその場所で拝みました。彼女たちは礼拝をはさみながら人々にイエス様を伝えようとしたのです。イエス様は恐れるな、行け、告げろ、待っているといわれました。

このように神様はここにいます。神様はその途中にいます。神様は行く先で待っています。このようにイエス様は彼女たちに姿を現し、礼拝を起こし、人々を励まし、送り出すお方なのです。

私たちもこの物語の中にいる共同体です。私たちの戻るガリラヤとはどこでしょうか。それはきっと私たちの日常でしょう。それぞれの日常に先に、派遣された先にイエス様がおられます。神様がそこで待っておられます。私たちは神様が待っていると知るとき、先が見通せなくとも安心してそこに向かうことができるでしょう。私たちは神様の足にしがみつくように礼拝をしながら、歩んでゆきましょう。

今日私たちは主の晩餐をもちます。他の福音書によれば、復活後にイエス様と食事をしたことが記録されています。そのパンと杯を今日いただくのです。主イエスが私たちの向かう場所に待っていてくださる、そしてそこでまた共に食事をしてくださる、そのことを覚えながら、この杯とパンをいただきましょう。