「食堂の教会」マタイによる福音書14章13節~21節

イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」       マタイによる福音書14章16節

 

 「地域と福音」というテーマで宣教を続けています。今月は3回にわたって私たちの「こどもプロジェクト」から聞こえた福音を聞いてゆこうと思います。私たちは毎月第四金曜日「こひつじ食堂」を始めました。こひつじ食堂は大人でもこどもでも誰でも利用できる地域食堂です。

この食堂を始めてみて、この活動が地域の人々に支えられていることを実感しています。教会は食堂を助ける側になろうと思ってスタートしました。でも始めてみて知ったのは、私たちこそ助けられる側だということです。この活動は地域の助けなしには継続できません。

私はここにこれからの教会の在り方を見ます。これからの教会は一方的に伝える、提供する、教えるということではなくなってゆくでしょう。きっとこれからの教会は、もっと地域との相互性、相互関係を大切してゆくでしょう。

今日の聖書箇所、私たちの食堂がこれだけの助けを受けているのを見るとき、この5000人の食事の豊かさ、境界線の無さを読み取ります。この食事はもっと相互性のある食事、助け合いの食事だったのではないかと想像するのです。今日この個所から、神様は相互の助け合いを起こすお方だということを見てゆきたいと思います。

今日の聖書箇所を読みましょう。弟子たちは「解散してそれぞれで買って、それぞれで食べよう」と考えました。しかしイエス様はここで、みんなで食事をすることにこだわります。こひつじ食堂に様々な人がにぎやかに集まる食事に、この場面を重ねます。20節には「すべての人が満腹した」とあります。ニコニコしながら、楽しくて笑いながら、おなかいっぱいになったのです。食堂と同じです。

ここにはそのパンと魚は弟子が「与えた」と書いてあります。でもこれだけの人数の食事を12人で配るのは無理です。もっと相互的な食事だったとしか想像できません。そこにいたのは全員「食べた人」という一つのグループだったのです。

この食事は足りないはず、別々に分かれて取るはずの食事でした。しかしイエス様の一声で始まった食事でした。そこには豊かな相互性があり、助ける側、助けられる側の境界線はそこにはありません。私たちもそんな食堂になりたいと思うのです。

私たちは今、この教会と地域が同じ5000人になることができるだろうかということが問われているのではないでしょうか。私たちの教会と地域が、相互に助け合う関係性になってゆくことができるかが問われているのではないでしょうか。

このあと主の晩餐を持ちます。私たちの教会ではクリスチャンが受けるものとして執り行います。でも私たちは信じてこの食事に加わってほしいと願っています。