「食べ物を祈る神」マタイによる福音書6章9節~13節

 

御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。マタイによる福音書6章10~11節

 

地域と福音というテーマでみ言葉を聞いています。近年こどもたちの貧困が深刻になっています。たとえばランドセルなどの入学費用について経済的な支援が必要な場合「就学援助費」をもらうことができますが、この制度を利用する人は30年前に比べ2倍以上になっています。それほど生活は苦しくなっているのです。生活してゆくには、食費を切り詰めるくらいしかありません。

先日の「こひつじ食堂」にはオープン前に20人以上が列を作りました。みなさんニコニコしながらお弁当を持って帰りましたが、でも中には本当に食事を必要としている人がいたでしょう。教会は「こひつじ食堂」を通じて、この問題に関わっています。食費を削る窮屈な思いをしている方々に、月に1食ですが、食事をお渡しています。教会が関わるのは、心の内面の問題、魂の問題だけではありません。おなかがすいているという問題に関わることも大事なことです。教会がそのために働きを続けることができるように祈ってください。祈りが私たちのスタートです。

今日の聖書箇所を見ましょう。11節の「糧」は経済的に裕福な時代や地域では、精神的・内面的に、心の支えやみ言葉として受け取られてきました。しかし食事に事欠く時代や地域では、この祈りの受け止め方は大きく違います。本当に口に入れる食べ物を願う祈りとして祈られています。そしてもちろんイエス様に従う人々の多くは貧しくされている人々でした。イエス様もこの祈りをおそらく、まず必要な食べ物をしっかりと食べるということに向けて祈ったでしょう。

イエス様が祈ったのは、今日の食べ物をくださいという祈りです。食費を削らなくてもいいように祈りました。この祈り、私は今のこひつじ食堂への祈りと重なります。しっかりと食べることができますようにという祈りが、この活動につながっています。心の支えも大事です。教会はずっとその支えになってきました。でも今、食べ物を分かち合っていくことも、教会の大事な働き、大事な祈りです。

そしてイエス様の教えたこの祈りは「私」ではなく「私たちに」という複数形で祈れています。みんなに食事が行き渡りますようにという祈りなのです。

私たち「こひつじ食堂」のために祈ってゆきましょう。すべての人に糧を、今この場所が、全員の必要が満たされる場所になるように祈りましょう。神様は私たちにどう祈ったらよいのかを教えてくださるお方です。そしてその中にははっきりと食べ物について祈るようにと教えられています。みんなが食べれるように祈ろうと教えられています。こひつじ食堂の祈りに、この主の祈りを重ねて祈りましょう。