牧師室から2018年度

2019年

1月

13日

 発想の転換 その2


 先週、「なぜ教会の発信は信者以外に刺さらないのか」(松谷信司@キリスト新聞)を紹介し、ともに考えた。さらに松谷氏は他業界の例を挙げ、忠告する。「出版界でもよく耳にするのは、『良書なのに売れない』という関係者のぼやきです。確かに、売れる本が『良書』とは限りません。しかし、売る(伝える)ための努力もなしに内側の関係者だけで占有している限り、その発信が信者以外に『刺さらない』のは当然です」。

 ではどうするか?「『相手に合わせた言葉選び』の重要性」を説いている。「やってはいけないのが、独りよがりの言葉を羅列すること。……ここで重要なのは相手に合わせた言葉選び。年齢、役職はもちろん、提案に対する立ち位置も見極めたい」と具体的だ。説教の言葉選びについて考えさせられた。

 さらに「ここでいう『相手に合わせる』とは、妥協や迎合ではありません。『ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました』で始まるパウロの言葉(コリントの信徒への手紙一9・20~)に示されているように、伝えたい相手に仕えるという徹底した姿勢です」と言われる。「相手に仕えるという徹底した姿勢」がキーワード。妥協や迎合ではない言葉選びをみんなで話し合ってみたい。

 最後に「すでにキリスト教を信じた人が『福音はこんなに素晴らしい』と押し売りしても、逆効果になる場合があります」と指摘。家電売り場の販売員にたとえて「客の心理としては、強引に新商品の良さをアピールしてくるような販売員は信用できません。さり気なく側に立って、『何かお探しですか?』と『聞きたいことに答えてくれる』人、たとえ安くても(販売する側の利益が少なくても)こちらのニーズに合った商品を勧めてくれる人の方が断然信頼できます」と説明。納得!

 まとめると、こちらの主観を一端脇に置き、一歩退いて客観的な情報を提供する。それこそが私たちに必要な、発信の姿勢ではないか、ということだ。思い当たること多々あり。改善の余地あり。

2019年

1月

06日

発想の転換

 孫引き で恐縮だが、「なぜ教会の発信は信者以外に刺さらないのか」(松谷信司@キリスト新聞)を紹介して、ともに考えたい。

 松谷氏は「キリスト教メディアという特殊な業界に身を置きながら常々感じているのは、教会側が発信している(伝えたい)情報と、教会の外側にいる人々が欲している(知りたい)情報との大きなズレです」と問題提起されている。

 具体的な例として、「教会のホームページや案内文にありがちな『Q&A』では、教派的特徴や聖書の用語、教義の内容に踏み込んだ解説をよく見かけますが、実際に教会を探している人々が答えてほしいと願っているのは、『駐車場はあるのか』『子連れで行っても平気か』『服装、持ち物は?』『牧師はどんな人か』といった素朴な疑問だったりするのです」と言われる。思わず、教会のホームページや案内パンフレット、チラシを思い浮かべる。改良の余地はないか…。

 そこで松谷氏は「たとえ何らかの契機でキリスト教に興味関心を持ったとしても、実際に教会の敷居をまたぐまでには相当の物理的・心理的ハードルがあります。それを和らげるためには、教会の側に相応の工夫が求められるはずです」と教会側の努力と変革を求めている。確かに教会の敷居は高いだろうと我々も思ってはいるが、ではどうすれば?…。

 そこで「まずは、外部(第三者)からどう見られているのか、何が求められ、期待されているのか――そうした自己像の検証や客観的評価、対外的な説明が必要です。教会内の人にとって『そんな些末なことは本質的ではない』と思われるかもしれませんが、外側の人にとってはそうした発信が、どれだけ『開かれているか』をはかる重要な指標になります』と言われる。「自己像の検証」「客観的評価」、これがなかなか難しい。どうやって検証するか…。第三者に聞くしかないのか…。聞く勇気があるか…。聞ける人が身近にいるか。

2018年

12月

30日

数えてみよ主の恵み -平塚教会2018年10大ニュース-

 今年最後の祈祷会(12/26)で2018年平塚教会の10大ニュースを選びました。
①子どもプロジェクトの一つ「こひつじひろば」が4月からスタート。7月に
 はこひつじ館オープニングセレモニー「親子で歌おうコンサート」実施。
②伝道礼拝を証しと聖歌隊賛美をもって行う(2/18斎藤美津栄姉、9/16渡辺
 京美姉、11/18平野健治神学生、長尾澄子姉)。6月には城倉啓牧師の特別伝
 道礼拝を行い、午後は「憲法カフェ」実施。神学校週間では、7月8日平野
 健治神学生による宣教、7月15日には澤田ツル子姉の証と賛美。
③2月11日、越野富雄兄の喜びのバプテスマ式。
④3月計画総会で杉野牧師の2018年度で辞任を承認。その後、牧師招聘委
 員会や信徒会(4/29、7/29、9/9)で話し合いを進める。9月16日臨時総会
 で平野健治神学生を牧師招聘、牧師館改修、修繕献金を承認。
⑤4/1イースター礼拝(29名)。たまごひろい会(27名)。
⑥もちつき会(3/21)、サマーナイト礼拝(7/22)今年も大勢の子どもの参加
 があった(15名)。教会バザー(11/3)も天気に恵まれ盛況。
⑦チャリティーコンサート(10/13)60名、十時節子姉のピアノと小柳永子姉
 のギターと歌によるコラボ。被災地へ献金ができ感謝。
⑧齋藤京子姉11/19召天、享年81歳。
⑨女性会・サロン虹合同クリスマス会17名、子どもクスマス会(子ども7
 名)、クリスマス礼拝33名、キャンドル礼拝31名、聖歌隊の老人ホーム
 (2か所)でのクリスマス賛美の奉仕。
⑩1月寒波により中庭の水道管破裂、8月台風で会堂玄関横の水銀灯倒壊、
 秋の台風で会堂屋根瓦破損などなど。それぞれ修理や撤去。
 主の導きに感謝、皆さんの祈りと奉仕に感謝

2018年

12月

23日

クリスマスあれこれ

今日はクリスマスにちなんだいろいろなことを紹介しましょう。まず、「クリスマス」とは「クリスト・マス」、キリストのミサ(礼拝)。「メリー・クリスマス」はよいクリスマスを(お迎えください)、クリスマスおめでとうの意味。

 日本最初のクリスマスはいつか?諸説ある。一つは米国総領事タウンゼント・ハリスの日記に1856(安政3)年に、一人寂しく下田の玉泉寺でクリスマスを祝ったと書かれている記録。

 または、さらにさかのぼること300年前。ザビエルが布教した山口で天文21年(1552)に日本最初のクリスマスが祝われた、とフロイスが著した「日本史」にある。そのことは当時の弥蘇会士日本通信にのっている。曰く、「1552年の降誕祭の日に弥撤(ミサ)を歌い、良い声ではないけれどキリシタンの人たちはこれを聞いておおいに喜んだ。その日は一晩じゅう基督一代記を語り、6回弥撤(ミサ)を行い、これを行う理由を説明した」と(参考文献:「山口県史史料編中世1」)。

 では、日本人主催による最初のクリスマスは?1874(明治7)年、築地の東京第一長老教会で洗礼を受けた原胤明(たねあき)が計画、実施したものと言われている。慈善事業家の原は銀座に原女学校を開校していたが、そこで手造りのクリスマスが祝われたとのこと。

 12月25日がキリストの誕生日として祝ったのはいつ頃から?最初の記録は西方教会の教皇ユリウス一世の336年のことだといわれている。その理由は、教会の異教の祭りとの戦いにあった。当時、ローマ人やゲルマン人の間には、冬至の日を太陽の誕生日として祝う祭りが盛んだった。そこで教会は、人々に真の神の存在を知らせ、偶像礼拝から離れさせるために、同じ頃の12月25日を「義の太陽キリストの日」としてクリスマスと定めた、と言われている。

 今日のようなクリスマスの形が定まってきたのは19世紀中頃のこと。隣人愛や慈善の意味が加えられ、家庭でのクリスマスが盛んになり、クリスマスツリーやサンタクロース、クリスマスカードなどが取り入れられたそうです。

2018年

12月

16日

若い世代の座右の銘

朝、新聞を読んでいて、思わず連れ合いに「新聞に面白いことというか、いいこと書いてあるよ」と教えたのは「20代までは親からもらった顔。30歳からはあんたの性格が顔に出るよ」という言葉。これは大学2年の時、母親から言われたという女子大生の投稿記事。思わずお互い相手の顔を見て、そういうものかもしれないと変に納得。

 他にも若い世代の「座右の銘」が紹介されていた。「早し良し、ちょうどよし危うし、遅し悪し」。これは祖父がいつも言っている言葉を大事にしている小学生の座右の銘。時間を守ることは信頼にもつながるということも学んだという。

 「大丈夫や!失敗してもいいんや!死にゃーせん!」。これは小学6年の時、新入生歓迎のスピーチを頼まれて尻込みしていたら、先生から言われた言葉。今高校生の彼女はその後積極的な子に変わったという。今でも迷った時には「よし!死にゃーせん!」と意気込み、楽しい日々を送っているという。

 「努力は簡単に人を裏切る」。中学3年の時に塾の先生が言った言葉を紹介したのは女子高校生。当時、受験生だった彼女は「努力は絶対に裏切らない」と周りから言われて、しかし結果が思うように出ず、追い詰められていた時だったという。この言葉で現実を冷静に見つめることができ、少しだけ気が楽になり、また新たな気持ちで受験勉強に取り組むことができたという。

 このように言葉の力はすごい。私も子どもの頃に周りの大人たちがよく言っていたことわざが耳に残っている。「早起きは三文の徳」「いつまでもあると思うな、親と金」「安物買いの銭失い」などなど。なぜかお金に関するものが多い(笑)。

 聖書から短いことわざになるような言葉を拾い出してみよう。「受けるよりは与える方が幸い」「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」「求めよ、さらば与えられん」「岩の上に家を建てる賢い人、砂の上に家を建てる愚かな人」「天に宝をたくわえなさい」「思い悩むな、命は食物にまさり、からだは着物にまさる」などなど。これらを「いろはかるた」にしてみるのも面白いだろう。だれかやってみませんか。

平塚バプテスト教会

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