牧師室から2018年度

2018年

11月

04日

礼拝ってな~に?

長年、信仰生活を送っていると毎週礼拝に出席することは習慣となり、生活の一部になって、それはそれとしていいのだが、どこかマンネリとなり、礼拝での自分の奉仕のことばかり気になって、礼拝自体の恵みや意義について深く考えることが少なくなってくる。そこで今回は礼拝の基本的なことについて確認してみよう。

 問い「礼拝は拝むという字が使われていますから、神を拝むという行為ですよね」。答え「はい、そうです。だから自己崇拝者や拝金主義者は礼拝には来ませんね」。

 問い「よく礼拝をささげるとか守るとか言いますが…」。答え「み言葉により恵みを受けて、祈りと賛美と財をささげる。そして、神第一とする生き方から引き離さんとする悪しき力の中で礼拝を守るので、そういう言い方になるのでしょう。礼拝を守るあなたが守られるのです」。

 問い「礼拝で大事なことは…?」。答え「神に栄光を帰すること。つまり神に最高の価値をお返しすること。そして神への献身を新たにすること。さらに目に見えぬ世界に根差し、見ゆる世界に派遣されること。聖書に『霊と真理をもって父を礼拝する』(ヨハネ4:23)とあります。礼拝で生ける神の存在を実感し、主と出会って欲しいですね。神が礼拝で私たちに会いたがっています。『あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい』(雅歌2:14口語訳)」。

 問い「礼拝はみんなで捧げるのはなぜですか?」。答え「いろんな人が神に愛され生かされているのだという基本を再発見し、実感させられるためでしょうか。日頃、人は他人のことを考えて生きていませんからね。礼拝を共にして改めて隣人の命の重さに気づかされるのです」。

 問い「礼拝後も大切ですよね。この世に派遣されるのですから」。答え「その通りです。礼拝前は私が神に、礼拝中は神が私に、礼拝後は私が隣人に語りかけるのですから。礼拝と礼拝との間にある生活を豊かに過ごしましょう」。

 まだまだいろんなことが礼拝について言えますが、今回はごく一部のみ。あとは聖書から学びましょう。

*『おもしろキリスト教Q&A77』(山北宣久 教文館)を参照。

2018年

10月

28日

兄たちを探す


 創世記に記されている壮大なヨセフ物語の中で印象的な一言があります。それは「兄たちを探しているのです」というヨセフの言葉です(創世記37章16節)。

 「何を探しているのかね」と尋ねられて、「兄たちを」というのは印象的です。「自分探し」という言葉が流行語のようによく用いられますが、「兄たちを探す」という仕方でしか自分を探しあてることは難しいのではないかと思われます。それは「兄たち」を探す中で自分を相対化して見ることができるからです。

 では、あなたにとって「兄弟」とは誰でしょう。その問いは「あなたにとって隣人とは誰か」ということでもあります。他人に過ぎない人を兄弟姉妹として受け入れ、信頼し、共生していく、そのような人間関係の構築が伝道へとつながっていくのではないでしょうか。

 あの時、ヨセフは兄弟に嫌われ、銀20枚で売りとばされ、それでも兄弟といえるのかという劣悪な関係に堕ちていきます。しかしヨセフは「兄たちを探しているのです」といって求めつつ生きました。それは、後の兄弟たちとの再会の時でも変わりませんでした。

 兄弟姉妹と呼び難い者を兄弟姉妹としていくところに伝道の精神は息づきます。そうするのは、敵であるような私たちを「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」(ヘブライ2章11節)で迎えてくださるからに他なりません。

 日本の社会は、ますます同化、同調志向が強くなり、異質な者を排除していくような傾向にあります。自分と異質なものを受け容れ、共に生きていこうとする精神に欠けた社会の現実にあって「兄たちを探しているのです」という姿勢は困難を予想させますが、貴重な証しに通じていくはずです。

 兄弟姉妹として接し、相手から学びつつ心を開いていく時、自分たちは見えない愛の連鎖でつながれているのだという厳粛な時を経験させられ、自分自身をも再発見するのではないでしょうか。

 「いまどこかで泣いている/世界の中でわけもなく泣いている者/その人は/ぼくのことを泣いているのだ」(リルケ「厳粛な時」)。

2018年

10月

21日

お金で幸せになれる?

 昔よりお金に関することわざ、格言は多くある。「悪銭身につかず」「金は天下の回り物」「時は金なり」「安物買いの銭失い」などなど。昔からお金は人間の最大の関心事だということがわかる。

 ズバリ「お金で幸せになれる?」という、3人からの聞き取りの記事が朝日新聞(10月11日)に載っていた。今年8月、山口県で行方不明の男児を発見したボランティアの尾畠春夫さん。「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉が好きという。世間に広く恩返しがしたいということで65歳でボランティアに力を入れ始めた。お金はボランティアで必要だが年金で十分だと言われる。寄付も断っている。身の丈に合った、できることを精一杯やるということだろう。お金に振り回されない生き方。見事!

 2人目は20年前、ホームレスだったという兼元謙任さん(オウケイウェイヴ代表取締役会長)。事業が軌道に乗り、利益を得るようになったが、「この事業で利益を得ていいのだろうか」と当初は後ろめたさを感じていた。しかし、ある経営者から「人々がお金を払ってでも欲しがるモノやサービスをつくることが、世の中のために役立つ」と言われて、目が覚めたという。両極端の生活を経験して学んだのは、お金に振り回されず、主体的にお金を使うことの大切さだという。

 3人目は東京・西国分寺の「クルミドコーヒー店主」の影山知明さん。元はベンチャーキャピタリストとして、投資家から預かった30億円を非上場企業に投じて収益を最大化するのが仕事だったが、次第に疑問を感じるようになった。そこで「人の仕事の価値」に対する対価をもらう仕事としてコーヒー店主となった。利他性に基づく新しい経済を模索する。お金は感謝の気持ちとともに人の仕事を受け取る道具だと考える。

 3人の話を読んで思うのは、お金と幸福とはイコールではないということ。その使い方、付き合い方が大事だということ。お金に振り回されない。主体的に使う。利他性、他者のために使うことが自分の幸せにつながるということ。守銭奴、金の奴隷にだけはならないようにとあらためて自戒。

2018年

10月

14日

含蓄のある言葉との出会い その2

先週に続いて、含蓄のある言葉を紹介したい。朝日新聞夕刊(10月4日)の「一語一会」欄を読んで出会った言葉である。「状況は変わる」。エコノミストの浜矩子さん(同志社大学大学院教授)が母親から繰り返し聞いた言葉である。

 浜さんは「『荒れ野で叫ぶ声』でありたい」と、振る舞ってきたという。その「荒野で叫ぶ声でありたい」という志を支えたのが母親からの「状況は変わる」という言葉であった。「荒れ野で叫ぶ声」は言うまでもなく聖書に真の預言者イザヤの言葉として出てくる(イザヤ書40:3)。どの福音書にも洗礼者ヨハネの登場の場面で引用されているので有名な聖句である。

 浜さんの母親がカトリックだった影響で、彼女も6歳で洗礼を受けている。なるほど、それで先のイザヤの預言の言葉が彼女のバックボーンになっているのかと合点がいった。

 教会(キリスト者)の働きは三つあるといわれている。祭司の働き、預言者としての働き、そして伝道者としての働き、である。祭司は礼拝をはじめとする祭儀を行うこと。伝道者は神の言葉(福音)を宣べ伝えること。預言者はこの世に警告を発すること。イザヤは「城壁の内でぬくぬくと生活する人たちに『そこは危ないよ』と発するのです」と彼女は解説する。偽の預言者は言って欲しい耳触りのよい言葉を言い、敵が誰かを教え、人を引きつける。真の預言者は耳の痛いことを言い、「敵を決めつけてはいけない」と述べる。

 浜さんは、安倍政権がアベノミクスを打ち出して間もない2013年、「アホノミクス」を言い出した人だ。「成長、戦略と聞き心地のいい言葉の裏で、富める者はさらに富み、格差が広がった。21世紀版の大日本帝国の構築を目指す政権のため、株式も国債の市場も日銀が必死に支えていると思える」と彼女は警告を発する。

 エコノミストの道を志した彼女は「人を幸せにするのが経済活動。互いに痛みがわかる社会であれば、人の幸せは実現できる」と知ったという。「状況は変わる」。今日は今日、明日は明日。同じではない。あきらめず荒れ野で叫び続ける預言者としての教会でありたい。

2018年

10月

07日

含蓄のある言葉との出会い


 新聞や本を読んでいると時々、「う~ん、なるほど」と思わずうなったり、「そういう言い方や見方もあるんだ」と感心させられる含蓄のある言葉に出会うことがある。人生は出会いだというが、人物や出来事の出会いだけではなく、言葉との出会いはその人の人生や人格形成に多くの影響を与える。言葉の力だろう。

 先日も朝日新聞(9月27日夕刊)を読んでいて、「人は励まされるだけでは元気になれない」という言葉に出会った。元厚生労働事務次官の村木厚子さんが、さわやか福祉財団会長の堀田力さんから言われた言葉である。村木さんは厚生労働省の局長だった2009年、郵便不正事件で大阪地検特捜部に逮捕され164日間拘留された。拘置所では、「支える側」にいたと思っていた自分が一瞬で「支えられる側」に回る経験をした。この体験から、支援する人が受ける人の「自尊(プライド)の気持ち」を大切にできるかが重要だと分かったという。「『上から目線』の支援では、本当の意味の助けにはならない」ことも分かったという。確かに、私たちもホームレス支援や生活弱者、困窮者支援で最も気をつけていることである。支援する側とされる側に上下関係を作らない。同じ「いのち」を神さまからいただいたものとして接していくようにしている。

 村木さんは10年に無罪が確定。職場復帰の半年後に東日本大震災が起きた。さっそく、福島県の避難所に入ると、福島の人から「村木さんだ」「頑張ってね」と逆に励まされたという。その話を堀田さんに話すと、「被災した人たちは村木さんを励ますことができて、元気になったに違いない。人は励まされるだけでは元気になれない。いいことをしたね」と言われたそうだ。

 この堀田さんの言葉は、人は支え、支えられ、つながっていくことによって生きることができることを再認識させる。「お互いさま」の精神である。ヨハネの手紙一3章11節に「互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教え」とあり、18節に「言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」と勧められている。

平塚バプテスト教会

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