牧師室から2017年度

2017年

12月

10日

命は時間の中にある 

久しぶりに本屋さん行った。行くと必ず本を買いたくなる。読みかけの本がいっぱいあるのに。買いたくなるというより、読みたい本に出会いたいという気持ちが強い。店に入ると目に飛び込んできたのが、日野原重明先生の『生きていくあなたへ』(幻冬舎 2017)。迷わず買った。

 日野原先生は今年の7月に召天された。この本は、亡くなられる半年前に、時にはベットに横たわりながら話されたことをまとめたものである。この本は、先生も「私はなるべくたくさんの人に伝わりやすいようにと思い、言葉を紡いできました」と書かれているようにわかりやすい。しかし中身は味わい深い。

 「先生は命の尊さを伝える活動を続けてこられましたが、命とはどんなものなのでしょうか?」と問われて、「命とは、目に見えないけれど確かに存在する、エネルギー体のようなものです」と答えられる。では、そのエネルギーはどこに存在するのかというと、「命というのは君たちが使える時間の中にあるんだよ」と子どもたちに伝えてきたと言われる。

 「時間の中にある」。このとらえ方はとても新鮮で目が開かれた。その時間をどのように使うべきか、どのように使えば「生きる」のか、「命」となるのか?考えさせられる。先生は子どもたちに「子どものうちは与えられている時間を全部自分のために使いなさい。だけれども、君たちが大きくなったら、その時間をほかの人のため、社会のために使わないといけない。そう気づく時が必ず来るよ」と話される。自分の命を十全に生きるとは他者のために使うこと。それは「隣人を愛しなさい」につながるだろう。

 さらに「そして地上での時間が終わったとき、神様が天秤を持って待っているのです。生きてきた時間のうち、人のために使った時間が多いか、自分のために使った時間が多いかをはかって、人のために使ったほうが多い人が天国に行けるんだよ」と子どもたちに話される。

2017年

12月

03日

アドベントを迎えて

クリスマスを迎える準備を先週の日曜の午後、皆で行いました。日頃できないところの掃除をしたり、クリスマスの飾りつけも行いました。会堂にはイルミネーションも取り付けました。O兄が渡り廊下のペンキ塗り替えをしてくれました。

 案内チラシもA伝道執事の奉仕で出来上がっています。ポスティング業者に2000枚依頼したので、残り1000枚を皆で近隣に配布しましょう。何より、家族や知人、友人にチラシを用いてお誘いください。すでに50通以上クリスマスの案内を送りました。ポスターも10枚貼り出しました。

 12月16日の子どもクリスマス会のチラシもI教育執事によって作られ、チラシを用いてお誘いしています。ハガキも出しています。12月6日の女性会とサロン虹合同のクリスマス会も精力的に声をかけ、お誘いして20名近くなりそうです。

 そして聖歌隊は、キャンドル礼拝に向けて毎週主日礼拝前に特訓中です。牧師は数回あるクリスマスメッセージに今頭を悩ませています。新鮮なクリスマスメッセージをと聖書と格闘しています。

 そのように皆がともにクリスマスに向けて心を向ける時がまさにアドベント(待降節)といえるでしょう。教会歴では主イエスの誕生日の4週前の日曜日からアドベント(待降節)に入りますから、今日からです。ベンチャーもアドベンチャーもアドベントも、そしてなんとイベント(行事、事件)も語源は同じ「VEN、VENT」(来る)です。神が危険を冒してやって来ます。神の冒険的事業がクリスマスです。それを今か今かと「待つ」時がアドベント(待降節)です。

 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。……暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカ福音書1:68-71、79)。

2017年

11月

26日

憎しみを越えて ある兄弟の証し

教会には毎日多くの郵便物が届く。その中にたまに見知らぬ方から証し集のような冊子が届くことがある。先週は「生きる力、赦す力」と題する大学生斎藤諒さん(25歳)から小冊子の証し集をいただいた。

 斎藤兄は高校二年の時、自転車で登校中に乗用車にはねられた。以来、首から下が動かせず、人工呼吸器を必要とする生活に。障害による苦しみのみならず、加害者への憎しみや、「死にたい」という感情が芽生え、絶望感に押しつぶされる闇の中に置かれた。

 しかし、クリスチャンの野球部の先輩から勧められた聖書を読み、ある牧師との出会いを通して、「相手を赦すことで苦しみから解放される」ことを知り、心境が変わった。今では、加害者家族と和解し、ともに聖書を学ぶ仲となった、という。

 証しが書かれた小冊子の文章は、その時々の気持ちを率直かつリアルに書かれていて、読む者の胸を打つ。

 訪問した牧師の言葉が彼の心に響いた。「加害者を赦すことは、生身の人間にできる事ではありません。ましてや、諒君にそれを求めるなんて酷な話です。でも、人を憎んだまま生きるのも苦しいですよね。たとえ、相手が死んだとしても、憎しみは消えません。聖書は悪霊の存在をはっきりと教えています。罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますが、まさにその通りで、憎むべき相手がいるとするならば、それは人ではありません。悪霊によって起きた事故なのだから、悪霊を憎んで、加害者を赦すのです」。牧師の話は、今まで聞いてきた宗教や神々の話とは全く違う感覚で、僕はなぜか自然と涙があふれた、と彼は回想している。その時から、彼の生活に変化が起こったと、証しされている。

 斎藤兄は「これからは、いろんな機会を通して聖書に救われたことや言葉の力を多くの人に伝えたい」と話されている。

2017年

11月

19日

連盟定期総会報告

11月15日(水)~17日(金)に天城山荘で行われた第63回定期総会の報告。天城山荘まで約100キロ。西湘バイパス、箱根新道、最近開通した三島のバイパスを経て、有料道路と続き、車で2時間。20年前より1時間も短縮された。

 天城に着くと、あちこちに久しぶりに会う同信の友たちの笑顔。総会に出席する楽しみの一つはそのような主にある交わりである。しかし、一方で参加できなかった教会・伝道所のことも思う。今回、全国284教会の内、参加は199教会、70%の参加。これを多いとみるか少ないとみるか。ちなみに神奈川連合では20の教会・伝道所の内、参加は14の70%。

 今年は連盟結成70周年の節目の総会であった。総会標語は「将来と希望を与える計画-バプテストとして生きる」。聖句は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29:11)。1日目の夜に「結成70年・感謝と悔い改めの夕べ」があり、70年の歩みをただ感謝で終わるのではなく、かなり厳しい悔い改めを求める振り返りがされた。2日目には朴思郁先生(宣教研究所所長)による「『宣教のパラダイム転換』:これからの福音宣教と教会形成を考える」と題して記念講演が行われた。大胆な枠組みの転換、宣教の取り組みの必要性が語られた。大変素晴らしい講演で、いずれ講演記録が届くので、みんなで共有して学びたい。

 今回、群馬県の太田教会と福岡県の那珂川教会の連盟加盟が承認された。特に那珂川教会は伝道開始以来29年目の喜びであった。主な議題は活動報告、決算、活動計画、予算であるが、今年は大きな論争もなく承認された。一方、比較的多くの時間を割いたのが、『連盟70年の歩みから性差別の歴史を悔い改める』声明(案)であった。この声明を通して、私たちの今までの福音理解、宣教のあり方が厳しく問い直された。

 お祈りを感謝します。

2017年

11月

12日

信仰を妨げるものと信仰への出発 

キリストへの信仰を妨げるものは何でしょうか。四つあります。

 第一は「よく知らない」という妨げ。当時の民衆がキリストを十字架にかけて殺したのは「無知のためであった」(使徒3:17)と記されています。しかし、後に十字架の意味を知った時、直ちに信じる者となりました。

 第二は常識という妨げ。アテネの人々はキリストの復活について聞いた時、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:33)と言って嘲笑しました。しかし、神の力は人間の常識をはるかに越えているのです。

 第三は世間体という妨げ。キリストの遺体を十字架から取り下ろし、墓に埋葬したのはアリマタヤのヨセフでした。彼は以前、「ひそかにイエスの弟子となった」(ヨハネ19:38)と言われていた人物でした。しかし、十字架上に大きな愛を見た時、彼はためらわず大胆に信仰を表明したのです。

 第四は変化に対する恐れという妨げ。キリストを信じると、今までの生活が根本から変わってしまうのではないかと恐れます。しかし、全く心配いりません。キリストは私たちの人生を豊かで平安なものにして下さるお方です。

 もし、あなたが信仰を求めながら、上記のような妨げ(他の妨げもあることでしょう)によって、決断できないでいるなら、神に向かって「アバ、父よ」(ローマ8:15)と呼びかけてみてください。神を「それ(物)」として観察、分析、研究するのではなく、「あなた(人格)」として呼びかける時、あなたは神と人格的な関係に入れられていきます。神に向かって「父よ(主よ、神さまでもよい)」と呼びかけることは、祈りにほかならないから、祈る時はじめて信仰は出発することになるのです。神はきっとあなたに応えられます。

 私の信仰のはじまりは、祈る気もなく、信仰する気持ちもない中での口先だけの祈りから始まりました。神はすべてご存知だったのです。そのような私を憐れんで、神の方から来てくださったのです。そこに聖霊の働きがあったのです。祈りましょう。

平塚バプテスト教会

正しい人ほど苦しい
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