「我ら、神の同労者」 コリントの信徒への手紙一3章1-9節

コリントの教会の人たちは、互いに人間的な知恵を誇って分裂、分争を引き起こしていたが、そのような人たちのことをパウロは「肉の人」と呼んでいる。この人たちは信仰が弱いために、神の霊ではなく、肉という人間的なものに支配されているキリスト者で、「キリストとの関係では乳飲み子」である人たちだ、とパウロは語っている。パウロはコリントで宣教した時、1年半以上もそこにとどまって教会を建て、養育したのでだが、彼らは「霊の人」にまで成長できず、今もって「乳飲み子」の状態にとどまっているというのである。
 
 何を根拠にそのようなことが言えるのか。「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」とパウロは問いかけている。この問いかけに私たちはどのように答えることができるだろうか。私は、「霊の人」、「成熟した人」であると答えられるだろうか。あるいは、確かにパウロの言っているように、まだ「肉の人」「乳飲み子」であると答えるだろうか。
 
 ここで問題なのは「成長」ということ。神の恵みにより、聖霊の働きによって、私たちは「新しく創造された者」なのだ。いわば、主を信じた時、オギャーと言って母の胎から生まれた赤子が、乳を飲んで成長し、やがて固い食物もだんだんと受けつけるようになることが、成長ということである。身体的な成長は、誰の目にもはっきり見分けることができるが、信仰の成長は霊的な成長だから、見分けることは誰にでもできるわけではない。しかし、互いの間にねたみや争いがあることは、まだ成長していないことのしるしであろう。

 この場合の成長とは「霊的な成長」だから、聖霊によって成長させていただくしかない。聖書から聴く、そして祈る、聖霊の助けをいただく。それ以外に道はない。「大切なのは、……成長させてくださる神です」(7節)。そのために神は教会に指導者をお与えになられた。それなのに、その指導者をめぐって、コリントの教会は争っていた。そこでパウロは、「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です」と言っている。そして、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」と言い、互いの働きは異なっても「わたしたちは神のために力を合わせて働く者」だと教えている。神の同労者だと言っているのである。

 私たちバプテストは、牧師も信徒も等しく「神のために力を合わせて働く者」とする「万人祭司」の信仰である。肉の人や乳飲み子が霊の人、成熟した人に成長できるように互いに仕える合い、励まし合うことが求められている。徳を建てる。「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい」(エフェソ4:29)。「すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである」(Ⅰコリント14:26)。

平塚バプテスト教会

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