謙虚に生きることの難しさ

旧約聖書に「箴言(しんげん)」と呼ばれる書がある。「箴」という字は、漢和辞典によると、「はり」のことで、着物を縫う針、病気を治すのに用いる石の針とある。転じて「戒める、いさめる」を意味するようになる。よって箴言は、人の心を刺す短い警句、格言。まさに「寸鉄(すんてつ)人を刺す」である。

 その箴言には、「謙虚・謙遜」に生きることの大切さを教える言葉が多く見られる。逆にいれば、それほど「謙虚・謙遜」に生きることは難しいということであろう。箴言18章12節「破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜」。箴言29章23節「驕る者は低くされ/心の低い人は誉れを受けるようになる」。

 箴言だけではない。「謙虚・謙遜」に関する格言は古今東西多くある。「タレント(才能)は天与のもの、謙虚たれ、名声は人与のもの、感謝せよ、うぬぼれは自与のもの、注意せよ」。天賦の才というように、その人の才能は神から与えられたものだから「謙虚」でなければならない。評判は人がくれるもの。だから「感謝」しなければならない。そしてうぬぼれは自分が与えるものだから、「注意」しなければならないというわけです。

 皆さんもよく知っている「実るほど、頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」もありますね。これは私が教員になる時、父親から何度も諭された思い出の格言でもある。こんなのもある。「名声はある人を謙虚に、ある人を傲慢にする」。

 16世紀末の中国(明王朝時代)の人、洪自誠が残した随想集『菜根譚』に、地位や名誉を、人生の花にたとえてその三態を示す名句がある。「すぐれた人格によって得た地位名誉は山野に咲く花。放っておいても伸び伸び栄える。功績によって得た地位名誉は鉢植えの花。ご主人の一存で植えかえられたり捨てられたりする。権力にとり入って得た地位名誉は花瓶に挿した花。見ているうちにたちまちしおれる」。名誉や評判を維持するのは、金銀ではなく、品位、すぐれた人格という根っこであるということ。けだし名言。