領収書の祈り

請求書の祈りから、領収書の祈りへ。何のことか分かりますか?アサヒビールの会長さんだった樋口廣太郎さんは、ある本の中で、次のようなことを書いています。樋口さんはクリスチャンですが、神に祈る時に、「~してください」「~をください」というお願いの祈りを一度もしたことがないそうです。

 聖書には、祈りは、祈った時に神によって必ずかなうと書かれています(ヨハネ一3章22節、5章14節参照)。樋口さんはその神の約束を確信し、ただ感謝の祈りをしたそうです。いわゆる「請求書」の祈りではなく、「領収書」の祈りです。「お願い」の祈りではなく「感謝」の祈りです。
 
 彼がアサヒビールに来た時、市場でのシェアは一ケタで、会社は潰れる寸前でした。そこで、取引銀行から再建のために送られてきたのが樋口さんだったのです。その時、彼がどう祈ったか。「神さま、どうか私をライオンにしてください。なぜなら、キリンを食い殺したいからです」とは祈りませんでした。「神さま、シェアが一番になりました。これで従業員もその家族も喜び、またそれを飲んでくれる人も喜んでくれます。ありがとうございました」と「領収書」の祈りをし続けたといいます。私なら「シェアを一番にしてください」と祈るところです。

 なかなかできることではありませんが、信仰の根幹にかかわる真実を表わしています。領収書の祈りは、イエスさまもされています。死んだラザロをよみがえらせた時の祈りです。イエスさまは墓の前に立ち、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します」(ヨハネ福音書11章41節)。願い事が本当にかなう前に感謝しています。

 私たちの信仰生活は感謝する祈りが大切です。すでに恵みをいただいてもいるのですから(恵みの先行)。まず感謝してみよう。そうした祈りを重ねていくと、きっと違った景色が見えてくるはずです。不安や悩みの中にあって喜びと希望がわいてきます。

 *『聖書力』(中野雄一郎著 いのちのことば社 2011) 56-57p参照