クリスマスの精神 

これは米国の作者不詳の文章です。「もしもヘロデ王のごとく、物質で際限なく人生を埋め尽くすならば、もしも自分自身に価値をまったく認めずに人生を行動で埋め尽くすならば、三人の博士たちのように砂漠を越える長い、遅々とした旅をする暇があるだろうか? 羊飼いのように星を見上げる暇があるだろうか? マリアのように子どもの誕生を待つ暇があるだろうか? われわれにはそれぞれ越えるべき砂漠がある。見つけるべき星がある。われわれの中に産み出さなければならない命がある。」

 私たちは博士たちのように砂漠を越える旅をする時間を取ること、羊飼いのように時間をかけて星を見つけること、命の誕生を心静かに待つことができるだろうか。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩編46:10口語訳)の御言葉が響きます。

 さて、チャールズ・ディケンズ(19世紀の英国の作家、『クリスマス・キャロル』の作者)が嘆いています。「ああ、クリスマスが一年中続けばよいのに。クリスマスの精神が、心の中で一年中生きていたらよいのに」。

 クリスマスの精神とは何でしょうか?クリスマスの精神は、愛すべき神の本質と同じく、聖なる神秘なのかもしれません。クリスマスの精神とは、物はどんなに美しくてもしょせん物にすぎないのだ、と魂が知ることなのかもしれません。私たちは何かをするためばかりではなく、ただ存在するためにも創造されたのだ、と魂が受け入れることかもしれません。

 私たちの命は神からの贈り物であり、それをどう使うかが私たちの返礼の贈り物だと言われます。クリスマスのプレゼント交換だけに終わらせたくないものです。私たちの一日一日の命をいつくしみ感謝して生きていくこと、その命を隣人のために用いていくこと。クリスマスはそれを静かに思い起こし、決意する最適な時です。

 陽気な大騒ぎの陰で、静かな黙想と心の平安が持てますように。

平塚バプテスト教会

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