前向きな無力さ

K兄から「読んだからあげる」といってもらった本、『精神障害と教会 教会が教会であるために』(いのちのことば社2015)。早速読んだ。「昆布も売るけど病気も売る」をモットーに精神障害を持つ人たちと「べてるの家」を立ち上げたソーシャルワーカーの向谷地生良さんの著書である。

 「べてるの家」については以前この欄で取り上げた(2014年9月7日)。その時は「降りてゆく生き方」について紹介した。この本では、精神障害を持つ方の相談や支援する立場に立たされた私たちがどのような姿勢で向き合えばいいかが書かれている。その時大切なのが、「前向きな無力さ」。

 それを向谷地さんは、「互いの無力さを受け止め、神様にゆだねるという立場」と考え、その立場に立った時、「互いの関係の中に回復の新しい地平が見えてきます」と言われる。さらに「両者の真ん中に『聖書の言葉』を置いて対話するというつながり方は特に興味深く、『並立的傾聴』にもつながるもので、より関係に深まりが増すように思います」と述べられている。それは精神障害を持つ方の場合に限らないだろう。

 「並立的傾聴」とは一般的な相談やカウンセリングでいう傾聴を「対面的な傾聴」と呼ぶなら、それに対置するだろう。それは、横並びになり、起きている問題をテーブルの上に載せるようにして、一緒にそれを眺めながら研究的に対話を重ね、対応策を考える関係である。いろいろな相談時に応用できるだろう。

 「前向きな無力さ」で大切なことを向谷地さんは7つあげている。一つ目は、「その人を支配したり管理したりしないこと」。いろいろとトラブルが重なると、それを起こさせまいと考えて、ついつい管理や過剰保護の誘惑に襲われるもの。二つ目は、「自分の力のなさを認めること」。これは、諦めることとは違って、相手の力を信じてはじめて可能になること。

 以下、次週に続く。