クリスマスってな~に 

今では日本でも「クリスマス」という言葉を知らない人はいない。12月に入ると商店街やデパートではクリスマスセールが始まり、最近では大掛かりなイルミネーションが各地で輝き始める。プレゼント交換やクリスマスパーティーも盛んに行われ、クリスマスケーキは家庭のパーティーの定番。でも「クリスマスってな~に?」と聞くと分からない人が多い。

 デンマークの哲学者キルケゴール(1813-1855)がクリスマスにこんな話を残しています。「ある王子が農家の娘を愛した。王子は、その娘をゴタゴタの多い王宮に入れることを望まなかった。と言って、自分が変装してごまかすことも欲しなかった。だから王子は、正真正銘農夫になって娘を愛し、娘の愛を受けることにした」。

 この話から次の聖句を思い出します。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピの信徒への手紙2:6)。このクリスマスのメッセージは深く重い。

 フランシス・ハヴァガル(英国1836‐79)は、後に世界中で歌われることになった次のような讃美歌を作詞している。「主は御父の もとを離れ、わびしき世に 住みたまえり。かくも我がために さかえを捨つ」(教団讃美歌332番2節)。

 この主イエスの到来と、その独り子を与えるほどこの世を愛された神の御心を受け止め生き直すことこそ、クリスマスに相応しいことではないでしょうか。「神は人間を得るために、失うことを欲したもうた」(K・バルト、ドイツの神学者、『教会教義学』)。

 ですから、ある人は言いました。「嬉しいクリスマスはあるけれども、愉快なクリスマスはありえない」。わかりますよね。ただ騒いで、ああ面白かった、でクリスマスを終えてはならないということです。さきほどの讃美歌はこう続きます。「我は主のために なにを捨てし」。