喜べないときはどうする?

聖書の中には「喜びなさい」という言葉が八百回も出てくる。「えっ、ホント、うそみたい」と思われるかもしれないが、「うそ八百」ではない。特に有名なのは「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ一5章16節)だろう。でも、人はいつも喜べないもの。

 昔、中学で陸上部の顧問をしていた時、夏休みに3泊4日の合宿を行った。その時、生徒に約束させたのは二つだけ。「いつもニコニコ、履物をそろえる」。合宿はいつもより練習がきつい。当然疲れる。疲れがたまると人間不機嫌になり、ちょっとしたことでけんかになったり、トラブルを起こす。そこで生徒に「いつもニコニコだろう」と言って、笑って見せる。生徒も約束だから無理してニコニコしてみせる。「うん、いい笑顔だ」と言ってほめる。それで一件落着。実はこれ、先輩の先生に教えてもらった指導法。

 確かに、喜びというのは感情の表れだから、何らかの理由で喜べない時もあるだろう。そういう時はどうするか。かつては身近な所に手こぎポンプの井戸があった。ポンプをこいで水が出ないときは、呼び水を上から入れる。するとあら不思議、ガボガボッと水が出てくるのである。もし喜びがない時は、「喜ぶフリ」という呼び水を入れてやればいい。「ああ、うれしい」と叫んでみる。上記の「いつもニコニコ」の約束も呼び水だったのである。

 悲しみや苦しみの中でも、喜ぶような笑顔を作る。喜ぶ動作をしてみる。あるいはうれしいような格好をする。ガッツポーズもいいかもしれない。ポーズだけではなく、うれしくなるような場所に行く。あるいはうれしくなるような服を着る。服ならすぐに変えられる。明るい服はどうだろう。実は服を着替えるのではなく、そうすることで気分を着替えているのだ。心の中にそんな呼び水をしてみる。そうすると喜びは持続してくる。いつも笑顔にしていると、まわりも明るくなる。元気を与える。お金はかからない。