花見の思い出

春、4月。今まさに花見シーズン。毎日のようにテレビ、ラジオ、新聞などでいつ開花するか、どの地方ではいつ頃が満開かとせわしなく報道される。それほど日本人は昔から桜が大好き。和歌に「花」と詠まれたら、それは「桜」のことを指すことになるほどだ。

 かくいう私も子どもの頃から桜が大好き。小学生の頃から、春休みになると桜の開花が気になる。地方新聞の小さな記事や大人たちの会話から桜の情報を仕入れ、今日はあそこの公園、明日はどこそこと一人で自転車に乗って花見に出かけた。花を見て楽しむというより、桜が咲いているかどうか確かめに行った感じだった。我ながら変な子どもだなと思いながら。なぜなら、まわりの子どもたちは誰も桜なんかに興味関心がないのだから。

 教師になってからは、入学式に桜が咲いているかどうかが気になった。初めて中学校の門をくぐる新入生たちは、その日が満開の桜だとよく覚えている。ところが、散った後だと記憶があいまいになるようだ。卒業式の答辞で「桜の散った後、曇り空の下、初めて校門をくぐった私たち新入生は……」ではさまにならない。やはり定番の「満開の桜の下、初めて校門をくぐった私たちは……」でなくては落ち着かないのだ。変な話だが…。

 忘れられない花見の話。難病を抱えていた義母が来年は花見に行けないかもしれないから、ぜひ今年は花見に行きたいと言ったので、妻と相談をして、車で行くことにした。当時、酸素吸入器を常時つけていてボンベと一緒だから車中からの花見となる。車を止めてゆっくり眺められる場所探しをして、相模湖周辺に出かけた。運転しながら、親孝行しているはずなのに、なぜか寂しく悲しい思いで胸いっぱいになったことを覚えている。義母は満開の桜を堪能し、嬉しそうだった。その2が月後、天に召された。義母の目に桜はどのように映っていたのだろうか。