終末医療(ターミナル・ケア)

I姉は11月24日に日野原記念ピースハウス病院で天に召されました。ピースハウス病院は、日野原重明先生(聖路加国際病院理事長、玉川平安教会員)が日本での終末医療(ターミナル・ケア)の充実を訴え、20数年前に中井町に開院された、日本初のホスピス緩和ケアを専門とする独立型ホスピスです。その日野原先生がある本の中で、死について次のように書かれています(『日野原重明のいのちと生きがい』青春出版社 2003年 221-222頁)。

  「私たちは有限のものです。死に向かっていずれ体は衰えていきます。しかし、死を避けられないものと諦観し、終末に向かって人間として成熟していくのが人の生涯です。そして死が近づくにつれ、いろいろな雑念もとれ、自分の来し方を内省し、だんだんと謙虚な気持ちになってくる。いよいよ最期には、家族や友人に、自分なりの言葉を残す。死ということは自己実現の最後の機会といえます。しかし、死に臨んで自分の言葉を残し、最期の自己実現をして逝ける人は少ないものです」。

  そのような日本の終末医療の現実を見る時に、人間が「人間として終焉を迎えることができるように、死の備えができるようお膳立てをするのが、医療に携わる者や、宗教家の任務ではないか」とも書かれている。

  しかし、現実の日本では、今までの宗教家の怠慢もあったとは思うが、医師は死ぬまで患者を手放さず、家族や宗教家の手になかなかゆだねさせてくれない。「死の備えができるようお膳立て」をさせてくれない。その一翼の務めを家族や宗教家に任せてほしいのだが。死の備えのためには、できれば事前に患者本人が、または家族や宗教家が一緒になって、そうなるように環境づくりをし、患者に人間らしい最期が迎えられるよう努力する必要がある。

  キリスト教でいうならば、最期の時に私たちは神と人から愛されている、赦されている、そして、神の国に入ることが約束されている、その希望を持って迎えるための備えである。ピースハウス病院はそのことができた。院長が私(牧師)に「医療的な緩和ケアはしますが、心(精神)のケアは先生の方でお願いします」と言われた。I姉は亡くなる2日前に訪問した私たちに向かって、穏やかな表情で「ありがとうございました」と静かに二度繰り返して目を閉じられた。それが最後の言葉であった。医療関係者の温かいケア、友人や教会員の祈りとお世話があってこそ迎えることのできた死であったと思う。