夏休みの自由研究の思い出

子どもの頃の夏休みといえば皆さんはどんな思い出があるでしょうか。プールに川遊び、海水浴。セミ捕りに魚釣り。映画に旅行。夏休み帳に自由研究……。その自由研究で何をするか毎年悩まされた。当時流行りの昆虫や植物の採集はすぐ飽きて中途半端でまとまらない。

 だいたい今日は何して遊ぶか、そのことで頭はいっぱい。遊ぶのが仕事。宿題だからしょうがなしにやるだけ。簡単で見栄えのするもの。そんな都合のいいことなんかない。6年の時、夏休みも後半に入って少し焦ってきたころ、友だちのN君と相談して歴史年表を作成することにした。

 教科書の後ろに付いている長い年表を模造紙にマジックで大きな字で写すだけ。これは簡単、考えなくてよい。さっそく二人でとりかかった。暑い日中だったが、N君の家は料亭。当時珍しかったクーラーがなんとお座敷にある。N君のお母さんが昼間はお客がいないからと、クーラーのあるお座敷で作業をさせてくれた。これも思い出。

 さあ、やろう、となって、模造紙5枚をつなげる。縦横に線を入れて表を作る。字の大きさはこれくらいと決める。となると、いくつぐらいの事項が書けるかがおおよそわかってきた。縄文時代から始めて2千年の日本の歴史である。とても全部載せることはできない。さあ、困った。

 じゃ、どれを載せてどれを載せないか。我々の知識では判断ができない。二人は顔を見合わせた。こんなはずではなかった。しかし、乗りかかった船。もう引き返せない。それで市立図書館へ行き、2冊の日本の歴史の本を借りてきて、年表を見比べて判断することにした。この作業が大変だった。二人で、これはどうする、載せる載せない、その理由は、などと議論。

 議論しているうちに、なんとなく気づかされたことがあった。どの視点で歴史を見るかによって違ってくるのではないか。歴史全体を見通せる知識が必要だということ。年表の裏には様々な歴史的事実が隠されていること、などである。これらの気づきは、知識よりもものの見方、考え方が大事と教えてくれた。