もったいない

海外で通用する日本語は昔では「ゲイシャ」「ハラキリ」などだったが、最近では「カラオケ」「天ぷら」「津波(TSUNAMI)」などがそうだ。そして、もう一つ付け加えるべきは「もったいない(MOTTAINAI)」だろう。

 ケニアの元環境大臣であったワンガリ・マータイ女史が日本でこの言葉に出会い、その言葉の奥深さに感動し、今世界に必要なのはこの「MOTTAINAI」の精神だとして、国連でこの言葉を共通語にしようと提唱したことで一気に広まった。

 肝心の日本では「もったいない」は聞かれなくなった感じである。私たちの世代は、茶碗にご飯粒が残っていると「もったいない」と言われ、最後の一粒まで食べさせられた。そして、お米は「八十八」と書く。お百姓さんが八十八の手間をかけ汗を流して作ったのだから、感謝して食べるようにと教えられた。当然、「いただきます」も「ごちそうさま」も食卓では当たり前の光景だった。

 ところが最近は生活のスタイルが変化したのか、「いただきます」も「ごちそうさま」もない食卓が、ごく普通の家庭で増えているそうだ。身近な食卓の変化が、食べることができる有り難さや、食べ物が与えられている感謝、さらにそれらすべてを備えて下さる神さまに対する「ありがたい」という思いが薄れているのではと思わされる。それはさらに「生きる」ことや「いのち」の大切さ、重さ、畏れという感性も鈍くされているように思われる。

 「飢餓対策ニュース」(2017年9月)に理事長の岩橋隆介氏が次のように書かれている。「…やはり忘れられないのは某国の最貧と言われる地域で懸命に生きる子どもが、提供されたわずかな給食を、自分も食べたいであろうに、一部を残し自分の弟妹に分かち合っている姿でした。感謝の祈りをささげ、それを分かち合い、最後の一粒まで残さず食べている姿と、その時の笑顔。かつて私たちの国にもあった、物があふれる贅沢ではなく、少ないものでも分かち合う『豊かさ』を見ることができたのです。今、心から思います。その豊かさを取り戻さねば、と。」

 分かち合う豊かさ。