聖書の中には、「勇気を出せ」「恐れるな」という言葉が365回出てくると、ロバート・シューラ―博士(米国の牧師)が書いている。ということは、毎日勇気を出しなさいと言われているようなもの。人間は放っておくと臆病になる生き物だから、神さまは毎日励ましてくれているのだ。
矢沢永一氏(大学教授、評論家)は『人間通』の冒頭で「日本の男は臆病でけちだ」と書いている。そして「これは伝染する」と。一人が臆病なことを言うとみんな「そうだそうだ」と。多数意見に考えもなく同調する。少数意見になることにおびえてしまうのだ。
なぜ日本人は臆病なのだろうか。中野雄一郎氏(牧師、人間力研修セミナー講師)は、その一つに聖書の原則、そしてそこから生まれる力を知らないからではないかと言う。聖書には人に対して「恐れるな、私があなたと共にいる」という神の言葉が書いてある。この世界を真に治めている神が自分と共にいると思えば、たとえ周りの人が自分と違う意見だとしても、それが正しいと思うなら貫くことができる、と。
日本では「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とか「出る杭は打たれる」と言われるように自己主張しない。それなのにそのことを指摘されると、「和をもって尊し」とすることが日本の精神だと言って、むきになって反論する。なぜしっかりとした自己主張ができないのか。それは日本の人間関係が、親分子分の関係(タテ社会の関係)で成り立っているからである(中根千枝氏『タテ社会の人間関係』参照)。話し合いは、幾人かの親分の談合によって決まっていく。
この国民性は、今も変わっていない。日本の政治はその典型。昔よりしがらみのないはずの現代の若者も「空気が読めない」と言われることを強度に恐れている。空気ばかり読んでいては、自分がしたいことができず、したいことも分からず、疲れ果ててしまうばかりだ。同じタテの関係でも、絶対的他者(神)との関係をしっかり持つことは、自己の形成(主体性の確立)に役立つ。常に自分を客観的、相対的に観ることができ、短所、長所を含めて認めながら、自己を形成していける。