信仰を妨げるものと信仰への出発 

キリストへの信仰を妨げるものは何でしょうか。四つあります。

 第一は「よく知らない」という妨げ。当時の民衆がキリストを十字架にかけて殺したのは「無知のためであった」(使徒3:17)と記されています。しかし、後に十字架の意味を知った時、直ちに信じる者となりました。

 第二は常識という妨げ。アテネの人々はキリストの復活について聞いた時、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:33)と言って嘲笑しました。しかし、神の力は人間の常識をはるかに越えているのです。

 第三は世間体という妨げ。キリストの遺体を十字架から取り下ろし、墓に埋葬したのはアリマタヤのヨセフでした。彼は以前、「ひそかにイエスの弟子となった」(ヨハネ19:38)と言われていた人物でした。しかし、十字架上に大きな愛を見た時、彼はためらわず大胆に信仰を表明したのです。

 第四は変化に対する恐れという妨げ。キリストを信じると、今までの生活が根本から変わってしまうのではないかと恐れます。しかし、全く心配いりません。キリストは私たちの人生を豊かで平安なものにして下さるお方です。

 もし、あなたが信仰を求めながら、上記のような妨げ(他の妨げもあることでしょう)によって、決断できないでいるなら、神に向かって「アバ、父よ」(ローマ8:15)と呼びかけてみてください。神を「それ(物)」として観察、分析、研究するのではなく、「あなた(人格)」として呼びかける時、あなたは神と人格的な関係に入れられていきます。神に向かって「父よ(主よ、神さまでもよい)」と呼びかけることは、祈りにほかならないから、祈る時はじめて信仰は出発することになるのです。神はきっとあなたに応えられます。

 私の信仰のはじまりは、祈る気もなく、信仰する気持ちもない中での口先だけの祈りから始まりました。神はすべてご存知だったのです。そのような私を憐れんで、神の方から来てくださったのです。そこに聖霊の働きがあったのです。祈りましょう。

平塚バプテスト教会

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