置き換えて読む。私は時々、その方法を使って読むことがある。例えば「市場は、見知らぬ人同士が出会う場である。しかし、いったん出会った後は、顔の見える人間関係が生まれる。顔の見える関係はありとあらゆるところで生まれ、育まれていく。そこでは、単なる私利ではなく、信義に基づいた関係の構築が大切なことは言うまでもない」という文章。「市場」を「教会」に、「信義」を「信仰」に置き換えて読み直してみてください。「教会」ってところが改めて新鮮にイメージされないだろうか。(ここでの引用文はすべて松井彰彦氏の4月21日朝日新聞「経済季評」より)
次からは読みやすいように置き換えをカッコに入れてみる。次の文はどうだろう。「人間関係の基本は、相手の立場に立って、ものを見ること(隣人を自分のように愛しなさい)と言ってもよい」。そうすると、この二つは人間関係の基本的なあり方の裏表を表現していることに気づかされるだろう。より一層、人間関係の理解が深まる。
次は子どもの居場所について書かれた文。「塾(教会、教会学校)は逃げ場がなくなった子どもを引き受ける避難所になり得る」。「学校が公的な場とすれば、塾(教会、教会学校)は私的な場、いうなれば市場(宗教施設)だ」。どうですか。教会の使命の一つがリアルに浮かびませんか。
医療現場での患者と医師の関係についても触れている。筆者の入院先の主治医の対応を「患者(信者、求道者)目線で接してくれ、患者(信者、求道者)である筆者の不安を和らげ、病気(試練、悩み)に立ち向かおうという気持ちを高めてくれた」と評している。医師を牧師に置き換えて読むと、自らの働きを真摯に見つめ直させてくれる。▲聖書を読む時もこの置き換えの読み方は有効。例えばヨハネ3:16の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世(私)を愛された」。どこか他人事だったことが、自分のこととして迫ってくるだろう。自分事として聖書を読むとよい。