「名優」の法則

昔、ある著名な牧師が書かれた「名優の法則」と題した文章を読んで感銘を受けたことがあって、今も時々思い出しては読み返す。「名優とはどんな人のことをいうのでしょうか。大根役者ほど役の中に浸り切っていて、自分の演技がいかに下手なものか見えていないといいます。名優と呼ばれる人は、演じる自分とそれを見ている自分がいて、常に自分の演技を修正しているそうです。自分を客観的に見る目がなければ、名優にはなれません。これは映画や演劇の世界だけでなく、ビジネスの世界にも、また私たちの日常生活にも当てはまる真理です」(「ハーベスト・タイム」2005年7月号)。

 ことわざに「人のふり見て我がふり直せ」というものがある。私たちは自分のことは自分が一番分かっていると思い込んでいるが、意外とそうでもない。自分を客観的に見ることのできない状態は、聖書的に言えば、神から離れた人の霊的な状態と同じと考えられる。罪は私たちを神から切り離すだけではなく、自分がいかに霊的に悲惨な状態にあるかということも分からなくさせる。

 幸いなことに、聖書は自分自身を観察するための客観的な鏡となる。聖書の言葉に照らし合わせて自分の姿を見始めるなら、今まで見えなかったものが見えてくる。それは単に、他人の目に自分がどのように映っているかが分かるということではない。創造主である神の目に自分がどう映っているかが分かってくるのである。

 使徒パウロは、自分の姿を見て、こう告白している。「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです」(ロマ書7:18)。

 これこそ、聖書の鏡を通して自己を客観的に評価した言葉であろう。このような自己認識を持った人には、大きな可能性が広がるだろう。その人はキリストにある罪の赦しを受け、聖書的価値観と世界観の中で生きるようになる。また、日々聖書のみ言葉によって自分をモニターし、その考えや行動を修正するようになる。そういう人こそ、人生の名優になれるのではないだろうか。