手段と目的を間違えないで

キリスト教は、言葉を大切にする宗教だと言われています。なぜなら、神がロゴス(言葉)となって、私たちに救済のための真実を教えてくれるからです(ヨハネ1章)。ですから、聖書の言葉を学ぶことで、目には見えないが確実に存在する、大切なものを捉えることができるようになります。そうすると、誰もが避けられない挫折や逆境、仕事や人間関係の悩み、人生の岐路に立った時、聖書の言葉によって、慰めや生きる力、希望が与えられます。

 また、聖書の言葉は不思議なもので、何度読んでも、また人によって、さらに置かれた状況の違いによって、さまざまなメッセージを私たちに与えてくれます。今日は、佐藤優氏の『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社 2017)から、メッセージを聞きたいと思います(10-11p)。

 「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。」(マタイ福音書6章25節)。

 人間は、食べること、着ることなくして生きていくことはできない。それだから、自分が努力して食べ物と衣服などを含む生活のために必要とされているものを確保しなくてはならないと、無意識のうちに考える。しかし、このような発想には、重大な欠陥がある。それは、現在置かれている自分の状況に感謝するよりも、自分の力によって、よりよい食べ物、衣服などのものを確保するという欲望に支配される危険だ。食べ物や衣服は生きていくための手段であり、目的ではない。イエスはここで、手段と目的が逆転してしまう危険を指摘しているのだ。

 以上ですが、この手段と目的を間違えてしまう悲劇はいくらでもあります。一流大学に入ることが目的となり、入学したら勉学に身が入らなくなったり、受験勉強に押しつぶされて心身を病んでしまうなど。働くことは美徳とばかり、寝る時間を削ってまで働き、あげくは心身を病み、うつになったり、過労死という悲劇まで起こっています。学ぶこと、働くことは大事。でも生きていく手段。何のために学び働くのかを見失わないで。