「神が私を立ち上げて下さる」ヨハネ5章1~13節

イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」

ヨハネによる福音書5章8節

 

今月と来月は、キリスト教が初めてという人に向けて話をしています。2000年前にベトザタという池がありました。この池には天使が降りてくると、池の水面にゆらゆらと小さな波ができ、その時、池の中に入ると、一番先に入った人は病気が治るという伝承がありました。

しかしこの伝承は残酷です。治るためには他の人を押しのけてでも、誰よりも早く水に入らなければいけないのです。そこは生存競争の場であり、人間関係は最悪でした。その中に38年間病気の男性がいました。彼は自分では起き上がることができませんでした。しかし彼が失望していたのは、もはや自分が病であることではありませんでした。彼が失望していたのは誰も他者を助けようとしない世界です。イエス様はそのような場所に現れました。イエス様は苦しみと失望と緊張関係に満ちた場所に現れるのです。

そこでイエス様は「起き上がりなさい」と言いました。世界に失望し、あきらめていた彼はもう一度立ち上がって、歩きだしました。そしてイエス様は歩き出すときに床を担いで歩きなさいという条件を付けました。床とは38年間寝ていたマットです。マットには汗と涙がしみ込み、擦り切れ、ボロボロになっていました。そのマットは彼の人生を象徴するものです。そして彼がいた池の周りの世界を象徴するものです。彼の苦労と屈辱の象徴でした。その床を担ぐようにとは、これからもその現実を背負って生きてゆきなさいという意味です。この38年間の苦労を忘れずに、あの池で見た世界を忘れずに生きるようにと条件を付けられたのです。

今日の物語から私たちはどんなことを考えるでしょうか。まず私が思うことは、この世界はまるでベトザタの池の様だということです。世界はこの池のように、自分中心、自国優先、強い者が勝つ世界です。隣人と愛し合うのではなく、たがいに敵同士のように競争する世界です。互いを喜び合えない世界です。私たちもこのような世界・日常に生きています。イエス様はそのただなかに現れるお方です。ひどい現実の、どん底の、この世界の真ん中に現れるお方です。

そしてイエス様は、私たちを立ち上がらせ下さいます。私たちは苦しみを忘れて、苦しみと無関係に生きるのではありません。それに責任をもって生きるようになります。神様はそのようにして私たちを立ち上がらせるのです。今私たちのいる世界を良くするために、神様は私たちを立ち上げてくださるのです。

この礼拝で、私たちは神様から床を担いで立ち上がれと言われています。私たちは現実を背負って立ち上がります。私たちはそれぞれの場所で、互いに愛し合い、困っている人を助け、隣人と喜びをともにしましょう。それぞれの場所で弱肉強食ではない、愛と慈しみにあふれる世界を創ってゆきましょう。その1週間を今日から歩みましょう。神様が私たちを立ち上げて下さいます。お祈りします。