バプテストとは何か?

私たちは「バプテストの教会です」と言ったり、「私はバプテストです」と言ったりする。では、何をもって「バプテスト」と言うのか。改めて考えてみたい。

 求道者や他教派の人たちに「バプテストの信仰って何ですか」と問われると、「聖書主義です」とか「万人祭司主義です」、「会衆主義で各個教会主義を尊重します」とか、さらに「幼児洗礼をしません」などと説明する。それはそれで間違いではないが、では、なぜそれらの主義をもって「バプテスト」と言うのか、というもっと根本的な問いが起こってくる。

 その問いに対して金丸英子先生(西南学院大学神学部教授)は『バプテストの信仰 ここに立って、私たちは…』(日本バプテスト連盟宣教研究所発行 2015)の中で、「個の自覚的主体性の尊重」であると書かれている(90p)。これは、他の諸教派に比べてバプテストになおも際立って色濃くみられる特質であると述べられている。

 バプテストは各個人による信仰告白や各個教会による信仰告白を尊重し、いわゆる「使徒信条」や「○○信条」などをそのまま鵜呑みにしたりしない。それは、人と教会それぞれの次元で「個(個人、各個教会)の自覚的な主体性」を何より大切にしているからである。バプテストはそのようにして、神との人格的な交わりのなか、個々人と各個の教会が自覚的に信仰に目覚めさせられ、主体的に信仰の告白をするそのようなあり方を早い時期からかけがえのないものとしてきた。それはバプテストの歴史からもうかがえる。

 ここで注意しなければならないことがある。「個の自覚的主体性の尊重」を履き違えると、独りよがりの自己主張の強い信仰に陥りやすいことだ。また、自己目的化、自己実現の信仰と変質する危険性がある。それは自分の信仰、自分の教会のことのみ考え、他者のことは視野に入らなくなる恐れがある(隣人性の喪失)。だからこそ,我々バプテストは、「自主独立であるが、同時に他の教会との協力を喜ぶ」ことを忘れずに告白し続けている。それは連盟や地方連合を通して互いの交わりを深め協力して伝道を進めていくことに表れているだろう。