含蓄のある言葉との出会い その2

先週に続いて、含蓄のある言葉を紹介したい。朝日新聞夕刊(10月4日)の「一語一会」欄を読んで出会った言葉である。「状況は変わる」。エコノミストの浜矩子さん(同志社大学大学院教授)が母親から繰り返し聞いた言葉である。

 浜さんは「『荒れ野で叫ぶ声』でありたい」と、振る舞ってきたという。その「荒野で叫ぶ声でありたい」という志を支えたのが母親からの「状況は変わる」という言葉であった。「荒れ野で叫ぶ声」は言うまでもなく聖書に真の預言者イザヤの言葉として出てくる(イザヤ書40:3)。どの福音書にも洗礼者ヨハネの登場の場面で引用されているので有名な聖句である。

 浜さんの母親がカトリックだった影響で、彼女も6歳で洗礼を受けている。なるほど、それで先のイザヤの預言の言葉が彼女のバックボーンになっているのかと合点がいった。

 教会(キリスト者)の働きは三つあるといわれている。祭司の働き、預言者としての働き、そして伝道者としての働き、である。祭司は礼拝をはじめとする祭儀を行うこと。伝道者は神の言葉(福音)を宣べ伝えること。預言者はこの世に警告を発すること。イザヤは「城壁の内でぬくぬくと生活する人たちに『そこは危ないよ』と発するのです」と彼女は解説する。偽の預言者は言って欲しい耳触りのよい言葉を言い、敵が誰かを教え、人を引きつける。真の預言者は耳の痛いことを言い、「敵を決めつけてはいけない」と述べる。

 浜さんは、安倍政権がアベノミクスを打ち出して間もない2013年、「アホノミクス」を言い出した人だ。「成長、戦略と聞き心地のいい言葉の裏で、富める者はさらに富み、格差が広がった。21世紀版の大日本帝国の構築を目指す政権のため、株式も国債の市場も日銀が必死に支えていると思える」と彼女は警告を発する。

 エコノミストの道を志した彼女は「人を幸せにするのが経済活動。互いに痛みがわかる社会であれば、人の幸せは実現できる」と知ったという。「状況は変わる」。今日は今日、明日は明日。同じではない。あきらめず荒れ野で叫び続ける預言者としての教会でありたい。