孫引き で恐縮だが、「なぜ教会の発信は信者以外に刺さらないのか」(松谷信司@キリスト新聞)を紹介して、ともに考えたい。
松谷氏は「キリスト教メディアという特殊な業界に身を置きながら常々感じているのは、教会側が発信している(伝えたい)情報と、教会の外側にいる人々が欲している(知りたい)情報との大きなズレです」と問題提起されている。
具体的な例として、「教会のホームページや案内文にありがちな『Q&A』では、教派的特徴や聖書の用語、教義の内容に踏み込んだ解説をよく見かけますが、実際に教会を探している人々が答えてほしいと願っているのは、『駐車場はあるのか』『子連れで行っても平気か』『服装、持ち物は?』『牧師はどんな人か』といった素朴な疑問だったりするのです」と言われる。思わず、教会のホームページや案内パンフレット、チラシを思い浮かべる。改良の余地はないか…。
そこで松谷氏は「たとえ何らかの契機でキリスト教に興味関心を持ったとしても、実際に教会の敷居をまたぐまでには相当の物理的・心理的ハードルがあります。それを和らげるためには、教会の側に相応の工夫が求められるはずです」と教会側の努力と変革を求めている。確かに教会の敷居は高いだろうと我々も思ってはいるが、ではどうすれば?…。
そこで「まずは、外部(第三者)からどう見られているのか、何が求められ、期待されているのか――そうした自己像の検証や客観的評価、対外的な説明が必要です。教会内の人にとって『そんな些末なことは本質的ではない』と思われるかもしれませんが、外側の人にとってはそうした発信が、どれだけ『開かれているか』をはかる重要な指標になります』と言われる。「自己像の検証」「客観的評価」、これがなかなか難しい。どうやって検証するか…。第三者に聞くしかないのか…。聞く勇気があるか…。聞ける人が身近にいるか。