発想の転換 その2


 先週、「なぜ教会の発信は信者以外に刺さらないのか」(松谷信司@キリスト新聞)を紹介し、ともに考えた。さらに松谷氏は他業界の例を挙げ、忠告する。「出版界でもよく耳にするのは、『良書なのに売れない』という関係者のぼやきです。確かに、売れる本が『良書』とは限りません。しかし、売る(伝える)ための努力もなしに内側の関係者だけで占有している限り、その発信が信者以外に『刺さらない』のは当然です」。

 ではどうするか?「『相手に合わせた言葉選び』の重要性」を説いている。「やってはいけないのが、独りよがりの言葉を羅列すること。……ここで重要なのは相手に合わせた言葉選び。年齢、役職はもちろん、提案に対する立ち位置も見極めたい」と具体的だ。説教の言葉選びについて考えさせられた。

 さらに「ここでいう『相手に合わせる』とは、妥協や迎合ではありません。『ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました』で始まるパウロの言葉(コリントの信徒への手紙一9・20~)に示されているように、伝えたい相手に仕えるという徹底した姿勢です」と言われる。「相手に仕えるという徹底した姿勢」がキーワード。妥協や迎合ではない言葉選びをみんなで話し合ってみたい。

 最後に「すでにキリスト教を信じた人が『福音はこんなに素晴らしい』と押し売りしても、逆効果になる場合があります」と指摘。家電売り場の販売員にたとえて「客の心理としては、強引に新商品の良さをアピールしてくるような販売員は信用できません。さり気なく側に立って、『何かお探しですか?』と『聞きたいことに答えてくれる』人、たとえ安くても(販売する側の利益が少なくても)こちらのニーズに合った商品を勧めてくれる人の方が断然信頼できます」と説明。納得!

 まとめると、こちらの主観を一端脇に置き、一歩退いて客観的な情報を提供する。それこそが私たちに必要な、発信の姿勢ではないか、ということだ。思い当たること多々あり。改善の余地あり。