イースーター礼拝「思い出してごらん」ルカによる福音書24章1節ー12節

神様は「思い出させてくれる」。それが、今日この物語から私たちに示されていることです。あなたにはイエス様の言葉を思い出すという約束があります。神様は一番悲しいその真っただ中で、私たちに「思い出してごらん」と語りかけらお方です。そしてイエス様は死で終わる方ではないのだと思い出させてくださいます。私たちの悲しみはそこで終わりではないのだということを思い出せてくださいます。必ずそれは希望に変えられてゆくのだ。今泣いている者は幸いだ、あなたは笑う様になるという約束を下さっているんです。私たちも今日、その約束を思い出すのです。

そして、私たちが毎週「日曜日の朝」に集まるその理由も、この約束にあるのだと思うのです。神様が私たちに思い出させてくださいます。でももっと神様の事を覚えていたい、一人ではなくてみんなとイエス様の言葉を思い出したい、そんな思いを持って、毎週この礼拝にあつまるのです。日曜日の朝に集まるのです。そしてみんなでイエス様の言葉を分かち合うんです。一人ひとりが神様からいただいた言葉を分かち合うのです。そうするともっと豊かに、神様が私たちにその約束を「思い出させてくれる」のです。

人生がうまくいっている人も、そうじゃない人も、笑っている人も、泣いている人も、みんなでイエス様の言葉をいただきましょう。そこで、神様が希望の約束を思い出せてくれるのです。そしてお互いに思い出せてもらったことを確認しあいましょう。そうするともっとイエス様が何と私たちに言っていたのかを思い出すのです。

毎月の主の晩餐もそうでしょう。それを繰り返すことによって神様が私たちに、イエス様と過ごしたあの時を思い出させてくれるんです、追体験させてくれるんです。だから私たちはここに集うのです。それが私たちの礼拝です。一緒に毎週、思い出しましょう、礼拝しましょう。

そしてまだ私はまだクリスチャンではありませんという方、信じることができませんという方、久しぶりに集った方、クリスチャンだけどちょっと信仰に自信ありませんという方(わたしもこれです)。ちょっと信じられないわ、そう思う皆さんにも安心して教会に来て欲しいです。今日は聖書に信じない人がたくさん出てきました。見た、信じた、みんな信じた、そんな単純な話ではないのです。信仰を持つとはそんな簡単ではありません。びっくりした、茫然とした、恐ろしくなった、だいたいみんなそんな反応なのです。この教会も同じです。ここで安心して疑ってください。安心して忘れて下さい。教会は信じている人だけ、覚えている人だけが集う場所ではありません。疑う人、信じきることができない人こそ集う場所です。忘れてしまう人が集う場所です。そして一緒にイエス様のみ言葉をいただきましょう。そしてまた一緒に思い出すようにしませんか。毎週一緒に思い出す、礼拝をしませんか。そんな生き方を一緒にしてみませんか?