「空襲とキリスト教」エレミヤ書33章6節―18節

1945年7月16日の夜、平塚市は大空襲に見舞われました。死者343人。焼夷弾42万本。住民一人当たり8発の焼夷弾が投下されました。まさに雨のように爆弾が降った夜でした。攻撃の目標は軍需工場だったと言われていました。しかし目標中心点は平塚市紅谷町の街角広場周辺でした。あの空襲は一般市民にむけて行われたのです。爆弾は市民に落とされたのです。
平塚の市民の多くは間接的に戦争に協力していました。戦争に協力したから、空爆されてもしょうがないのでしょうか?そんなことありません。ここに暮らしていたのは戦争に無理やり協力させられた市民です。子ども達が遠い場所から連れてこられ、工場で働かされました。そのような一般市民を対象にした爆撃、それは絶対に起きてはいけない、倫理上、許されない事です。
実は倫理上許されないこの無差別爆撃を日本はアメリカより先に、中国に向けて繰り返し行っていました。中国の奥地、重慶まで繰り返し空爆を行い、日本は市民虐殺を繰り返したのです。平塚が空襲を受け、多くの人が亡くなった、傷ついたことを覚える時、私たち日本もまた、空襲によって多くの人の命を奪った、傷つけたということを覚えるのです。空爆はキリスト教の教えに反します。罪です。神様の創造に反する行為です。
では、どんな戦争ならしても良いでしょうか?私たちはこんな戦争はダメ、こんな戦争なら仕方ない、してもよい、そういう考えを捨てなくてはいけません。その根っこから、戦争に反対をしてゆく必要があります。軍人同士ならいいと始めた戦争でも、必ず市民虐殺が起こるからです。こちらに正義があるなら戦争していいという事も違います。それは世界中のテロリストがしていることです。自分で自分を正義と決めてテロを起こしています。
私は根っこから戦争に反対をしてゆく必要を感じます。それはあらゆる軍備・武器・基地・暴力に反対をすることです。すべての暴力とその準備がこの地上から取り去られていかなければシャロームは訪れないのです。
本日の聖書個所、廃墟でエレミヤは平和の約束を聞きました。「見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。」と神様は私たちに約束をしてくださいました。まことの平和を約束して下さったのです。シャローム、それは羊飼いのイメージです。一匹の子羊が大切にされる、弱い者が大切にされる社会です。そしてもう一つは生け贄を献げるイメージ、それは私たちの礼拝です。平和の神を礼拝する、平和を求めて礼拝するイメージ、それがシャロームです。
私たちの地上に、神の平和がおとずれる時。それは社会の中で小さい者が守られる時、教会が平和を求めて礼拝を献げる時です。すべての軍隊、武器、抑圧が亡くなるように、教会は祈ってゆきましょう。具体的に働いていきましょう。私たちの街、平塚の町から、この礼拝からそれが拡がって行く、その約束に信頼し、礼拝を捧げましょう。

平塚バプテスト教会

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