クリスマス礼拝「まず神の言葉からはじめる」ヨハネによる福音書1章1節-14節

言葉を交わす、それはもっとも人間らしい事柄です。言葉は人を励ます力を持っています。励ましの言葉を聞くだけで、何かを始める意欲が湧いてくるものです。そして同時に、言葉は人を傷つけもします。言葉を発した人の意図とは関係なく、相手を深く傷つけるのです。言葉によって人は何かが手につかなくなったり、辞めてしまったりするのです。私たちの人生は良くも悪くも言葉に、振り回されます。人と人とが生きる時、必ず言葉を交わします。そして必ず傷が生まれるのです。私たちが誰かと生きようとする時、その人としっかりと向かい合おうとする時にこそ、言葉の行き違い、気持ちの行き違いは起きます。
でも、そんな中で神様に目を向けたいのです。私たちの難しい現実はあるかもしれないけれども、人と人との様々な言葉があるのだけれども、まず神様の言葉を聞いていこうと思います。人間のお互いの言葉だけではなく、まず神様の言葉を聞いていこう、そう思うのです。神様の言葉をいただくことによって、私は再び人と向き合う力をいただくからです。
今日の聖書個所、「初めに言があった」とあります。ヨハネはこのみ言葉から、福音書を始めます。一番最初に何があったかを、それを最初に語っています。「初めをもって始める」のです。
まず私たちは、神様の言葉が何よりも先にあったという事を知りたいのです。私達は人間の言葉によって混乱し、振り回されるものです。傷つき、傷つけるものです。しかし、世界には神様の言葉がまず最初にありました。人間同士の混乱より、ずっと前からある光、それが神様の言葉です。だから、私たちは人の言葉ではなく、まず神の言葉に目を向けたいのです。神の言葉の中にこそ私たちの命はあります。そしてその光は、神の下で輝いているだけではなく、9節「世のすべてを照らす光」なのです。
神様の言葉は一人の人間によって、世界に伝えらえることとなりました。その方がイエス・キリストです。イエス様はそのような人間の言葉の、人間の混乱の、人間の暗闇の只中にお生まれになったお方でした。それは14節にあるとおりです。クリスマスとはまさに「言葉は肉となって私たちの間に宿られた」という出来事です。神様は私たちと共にいて下さるお方です。神様は私たちの混乱した現実の中に、疲れ果てた中に、現れて下さるのです。私達にはどのように人の言葉を受け止め、言葉を発したらよいか迷う時があります。そんな時、私たちは始まり、神の言葉を思い出したいのです。
そして、神の言葉がどのように私たちと一緒にいてくださるのかも思いだしましょう。神様の言葉は私たちといつも一緒にいてくださいます。言葉であるイエス様は私たちの間に宿って下さるお方なのです。神様は人間の言葉の中、人間の生活の中、人間の暗闇の中におられます。神様が言葉であるイエス様を私たちに送って下さったからです。

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