【全文】「70年間の無力の強さ」ヨハネ5章19節~36節

みなさん、おはようございます。本日も共に礼拝をできること感謝です。すでにお伝えしたとおり、徐々に通常の礼拝に戻そうとしていた最中ですが、今日からまた礼拝を短縮版に戻すこととなりました。コロナに振り回され、疲れてしまう毎日ですが、そんな時こそ変わらない神様のみ言葉から力をいただいてゆきましょう。今日も子ども達が一緒に礼拝に集ってくれています。平塚バプテスト教会はこどもを大切にする教会です。互いの命を感じながら、礼拝をしましょう。子どもを連れて来たお母さん、おじいちゃんも、自分の子どもの声が気になることがあると思いますが、大丈夫です。一緒に礼拝をしましょう。

先週から3回にわたって、平塚バプテスト教会が70周年を迎えたということについて考えたいと思っています。いろいろ資料を掘り返したり、インタビューをしたりしています。みなさんにも原稿の依頼をしますので、どうぞ言葉を寄せください。資料を見ながら私は70年間、神様の力がこの教会におよび、建てられ続けて来たこと、その栄光の歴史を探していました。年表を見て、どのような恵みがあったのかを70年間という視点で振り返っていました。たとえば70年間で10個教会のトピックを挙げるとしたら、創立、宣教師、幼稚園、土地問題、小田原伝道所、梶井牧師招聘(バプテスト)、礼拝堂工事、信仰告白作成、こひつじ館建設、コロナのことになると思います。

しかし振り返ると70年間、いい事、栄光ばかりではなかった、いろいろな苦労があったことを知ります。特に私が注目しているのは、幼稚園と小田原伝道所についてです。記録からはそうは書いていなくても、そこから痛みを感じとります。

先日お二人の方に幼稚園閉鎖の歴史についてヒアリングをしました。幼稚園閉鎖、それは残念な出来事でした。当時の執事会の記録によりますと、1978年12月31日に初代牧師・長尾三二先生が天に召されました。その後2月に川上牧師が着任されます。しかし、4月からの附属紫苑幼稚園の運営を誰がどのように担っていくのかで混乱が起きています。英才教育の教育方針を引き継いで主任、長尾牧師のご親族に委ねていくのか、それとも新しい人に依頼してゆくのか。その対立は新入園児の保護者を巻き込んで深まってゆきます。そして結局、幼稚園の先生全員が退職をしてゆくことになります。その分断は、教会にも及びました。長尾先生のご家族が平塚バプテスト教会を去ることになってしまったのです。何とか幼稚園は続きましたが、結局8年後に休園、さらに2年後閉園となりました。平塚教会にはそのような歴史があります。

当時対立したお互いが、守ろうとしたものは何だったのでしょうか。そこで教会が示されたことは何だったのでしょうか。当時そこにいない私は、断片的な報告から想像するしかありません。しかし、確かに教会を去る人がおり、幼稚園は閉園してしまいました。痛みが残り、その痛みの癒しは終わったわけではありません。

教会は幼稚園を通じて、この地域に福音を伝えて行こうとしました。あるいは地域の子どもたちの成長を願いました。そのスピリッツは素晴らしいと思いますし、こひつじ館、子どもを大切にするという形で今も受けつがれていると思います。しかし思う様にはいかなかったのです。記憶・記録からは、大きな課題を前に教会は無力で、分裂の危機の前に教会は無力だったようにさえ感じます。礼拝出席者数も目に見えて減少したでしょう。

教会が幼稚園に関わる問題で混乱することは、決して珍しい事ではありません。平塚教会はこの事の前に無力で、分裂し、教会が閉じてしまう可能性も十分にあったでしょう。しかし教会は続きました。その後も確かに礼拝が続き、教会は続いたのです。

このような状況でも教会が続いたこと、そこには不思議な力が働いたと言えると思います。教会が死んでしまうかもしれない時、神様の息吹が降り注ぎ、教会は残りました。そこにはもちろん牧師や先輩者の頑張りがありました。「人の言葉に惑わされない」という堅い意志、一致しようという思いがありました。しかし何よりも、神様がこの教会に命を与えるという決断をされたからこそ、この教会は続きました。この教会を残すと神様が決断されたのです。すべての人が、神様の言葉を聞くために、神の子イエス・キリストを信じるために、神様はこの教会を建て続けることを選ばれたのです。

教会の70年の歴史、そこには確かに「無力さ」がしっかりと刻まれています。そして同時に、そこに確かに神が働き続けたことも刻まれています。栄光ばかりではない平塚バプテスト教会、でもそこに神様の力が注ぎました。私はその在り方が好きです。「弱い時こそ強い」それを体現している存在として、この教会は立ち続けているのだと思います。

さて今日の聖書の個所を見てゆきましょう。今日の個所はベトサダの池の話の直後の個所です。イエス様は38年間立ち上がることのできない、立ち上がる力のない人を癒したのです。その力強さに皆が驚きました。しかし、イエス様ははっきりと言います。今日の個所の、19節後半です。「自分からは何事もできない」と「自分には力がない、能力が無い」ということを語ります。自分は無力だというのです。

しかしイエス様は、その無力の中に神様が働き、神様の業が起こっていると話します。20節に、神様はイエスさまを愛して、自分の力をイエス様に与え、それを示すとあるとおりです。神様は力の無い場所を愛するお方です。神様は弱いもの、無力な者を愛し、力が注がれるお方です。それによって大きな業が地上に起こる。私たちにとって驚くような出来事が起こるのです。

21節、それはまるで、死者に命が与えられるような出来事です。もう終わった、ばらばらになってしまったと思っていたものが、もう一度息を吹き返す出来事です。神様からの命を受けて、もう一度一つのものとして働きを始める、起き上がる出来事です。

そのような出来事が、イエス様が選んだ場所に起こります。それは23節、すべての人が父を敬い、子を敬うために起こります。この地上の誰かのためではなく、すべての人のためです。全ての人が神様とイエスを敬うようなるためです。敬うとは、評価するという意味です。その本当の価値を知り、大切なものであるということ、従う価値のあるものであると知ることです。その本当の価値を知らせるために神様の業が起こるのです。

24節、私の言葉を聞いてとあります。神様の言葉を聞く、それは無力の中で神様の言葉を聞くということです。無力の中で神様の言葉を聞くその時、命が輝き出すのです。死んでしまったよう見えた場所に、命が湧きおこるのです。無力さは断罪され、切り捨てられ、強い者が生き残るのではありません。弱い者、無力な者こそ、神様の言葉を聞き、命が湧き起こされるのです。

そこでは25節、死んでしまった様に見える人、その無力さの中に神の声が響き渡るという出来事、その時が来る、その時は来ます。それは今がその時です。弱い私たちがその言葉を聞く時、私たちは生きるようになる、私たちの無力の中に神様の力が今、与えられるのです。それは今起こることです。

28・29節、驚いてはならないとありますが、私たちはそれに驚くでしょう。死んでしまった心に、終わってしまったと思う場所に、無力さの中に、神様の声が響きます。その時は善い行いをした人も悪い行いをした人も等しく、神様の力をいただくのです。そしてもう一度、そこから出てくる、新しくスタートができるのです。

30節もう一度イエス様は繰り返しています。「わたしは自分では何もできない」と。イエス様ですら、自分では何もできない、神の力が働いて、御心が実現されるのだと言います。私たちも、もちろん同じはずです。私たちは無力です。でもそこに神の力が働くのです。私たちが70年間頑張ったのではありません。神様が70年間、無力な私たちに力を与えてくれたのです。それが私たちの歴史です。

31節イエス様は自分を証し、賞賛することはしません。イエス様は自分の歴史を賞賛することはしないのです。36節、人はさまざまな評価をするでしょう。証言をするでしょう。しかし無力なイエス様に力が与えられ、成し遂げられたこと、そのものが一番の証しだとおっしゃいます。

今日の個所、神様の力、それは「わたしは自分では何もできない」という無力なイエス様に働くということをみてきました。私たちも同じでしょう。

私たち自身では何もできないかもしれません。現実に、コロナに振り回されるばかりです。でもそこに神様が働くのです。私たちは70年間を賞賛したい思いがあります。でも強い時ばかりではありません。教会の歴史には傷があり、無力さがあります。でも、それでも私たちの教会が70年間立ち続けた事、今も立ち続けている事、それこそがイエス様が行っている業そのものです。この教会が今日もここに存在することこそが、イエス様の力を証ししているのではないでしょうか。

平塚バプテスト教会は70周年を迎えました。この教会をもっと大きく、もっと力強い、もっと影響力のある教会に成長させてゆきましょうとは言いません。これからも私たちは、70年間そうであったように、無力な群れでありましょう。現実に振り回される、無力な人間の集まりでありましょう。そしてそこにこそ神様の力を求めてゆきましょう。

私たちは世に派遣されます。そしてそうする度に躓いて、右往左往して、分断の危機に悩むかもしれません。でも、それでも歩む教会でいましょう。それでいいのです。その中でこそ、そのような弱い中、無力さを覚える時にこそ、何よりも確かで、真実な神様が豊かに働くのではないでしょうか。この教会の70年間はそのような歩みだったのではないでしょうか。

そして私たち一人ひとりの歩みも、そのような歩みだったのではないでしょうか。これからもそのような歩みであるのではないでしょうか。お祈りいたします。