「来年こそ、別の道」マタイ2章1節~12節

 

「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。            マタイによる福音書2章12節

 

もうすぐ新年ですが、キリスト教はおみくじのような、占いを信じません。占いで人生を決めるのではなく、聖書の物語から神様の招きを探し、歩もうとします。どうすればいいかわからないことも多いです。占いのようにきっぱり答えを聞かせてくれた方が楽でしょう。しかし私たちは聖書に聞き、葛藤しながら歩むのです。

まずは1年間神様に招かれて、繰り返し礼拝し、派遣されたことに感謝です。そして来年こそ、礼拝をしましょう!来年こそは、今年とは違う心で、また新たにされて、礼拝を献げましょう。今日は、神様は今いる道とは別の道に招いてくださるお方だということ。来年も私たちは神様に招かれて礼拝をする、別の道を歩む、きっとそれが私たちに起こるということ、そのことを一緒に聖書から読んでゆきましょう。

今日の聖書箇所には「占星術の学者」とあります。イスラエルから見れば異教の占い師はペテン師、魔術師同然の存在でした。ですから今日はあえて「占い師ども」と呼びましょう。しかし神様の招きというは不思議なものです。マタイによれば最初にキリストの誕生を知ったのはこの占い師どもでした。私たちが神様からもっとも遠いと思っている人に、神様の選びと導きがあるということが示されています。

占い師どもは9節にあるように、先立つ星によって、先立つ神様によって招かれています。そして10節その招きに喜びあふれたのです。11節星の下に幼子イエスを見つけるとひれ伏して拝んだとあります。ここで言う「ひれ伏した」とはつまり礼拝をしたということです。彼らは星に導かれ、主イエスを礼拝したのです。

占い師どもの宝にどんな意味があったかは重要な点ではありません。とにかく占い師が主イエスに出会うと、彼らは礼拝をしたのです。これは神様の豊かな選びと招き、人々の礼拝と応答が描かれている物語なのです。

このあと占い師どもは12節、「別の道」を帰ったとあります。それは直接的にはヘロデ王に寄らない道を示します。しかしそれだけではなく、彼らの人生に起こった新しい道、それが「別の道」です。主の道を歩み始めたと言うことです。

この物語は私たちが礼拝に集うということと似ています。神様に招かれて礼拝に集い、喜んで礼拝し、そこで献げ物をするということ、そしてまたそれぞれのもといた場所に派遣されるということ、この毎週の私たちのサイクルと似ています。そして派遣される時、私たちは別の道、人間の道ではなく、主の道を歩む、そのようにして派遣されるのです。別の道に派遣されるのです。

私はこの占い師どもに自分を重ねます。私たちにまた新しい1年、1週間が始まろうとしています。私たちにも占い師どものように、神様はきっとまた別の道、主の道を準備してくださっているでしょう。私たちは共にまたその道を歩みましょう。人の道ではない、別の道、主の道を共に歩みましょう。お祈りいたします。