「世界の先にいる神」マルコ14章27~31節

しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。

マルコ14章28節

 

今月は世界・環境ということテーマに聖書を読んでいます。今の世界に目を向けると相変わらず戦争を繰り返しています。核兵器の恐ろしさを知っている世界・人類は広島・長崎に続き三度目の過ちを繰り返そうとしています。戦争をすること、それこそがまさしく「私はイエスなど知らない」と言い表すことだと思います。広島・長崎のきのこ雲の写真を見て、ロシアとウクライナが戦っているのを見て「私はイエスなど知らない」と言っているのが聞こえます。

これから先、世界はどうなってゆくのでしょうか。先の見通せない世界になってきています。世界はこれからさらに「私はイエスなど知らない」そんな世界になってゆくのでしょうか。私たちはこの世界で一体何に、どこに希望を持てばよいのでしょうか。こんな世界で希望をいただくためにこそ、今日も聖書を読みましょう。

29節と31節でペテロは、私は大丈夫、私は他とは違います、私はちゃんとした信仰を持っていますと言います。このような信仰は一番危険な信仰です。結局ペテロは危機が訪れた時、三度「イエスなど知らない」と言います。人間の決心は、このように弱く、もろいものです。イエス様は人間の弱さをよくご存じです。こんな私たちには、こんな私たちの世界には、どこに希望があるでしょうか。

イエス様が私たちに下さる希望は28節「私は復活した後、あなたがたより先に先にガリラヤへ行く」という言葉です。イエス様は人間には失敗と絶望が必ず起こるけれども、その後に必ず立ち上がり、再会をできると約束をしておられます。つらい事がある、不本意なことがある、でもそこで失望することはない、その先に私は待っているとおっしゃっているのです。それが私たちの希望です。

イエス様の「ガリラヤに先に行っている」それは、あなたが私を裏切り、すべてに失望した先にもなお、あなたと共にいるという意味です。神は私たちと共にいる神であり、神は私たちの先にいる神なのです。

いま私たちの世界は戦争が起り、暗い世界です。失敗と絶望が続く世界です。神を裏切り、「イエスなど知らない」と繰り返し表している世界です。でも聖書は言います。これで終わりではない。私たちの行く先には必ず希望がある、復活のイエス様がこの先におられるのです。この世界の先に、神様は待っておられるのです。

世界の中にいる、私たち一人一人の一週間についても、同じことが言えるでしょうか。私たちの1週間も失敗し、「イエスなど知らない」と言ってしまう一週間でしょう。病や痛み、苦難がある1週間でしょう。できればそれは避けたいものです。でもたとえそれができなかった時も、神様はその先に待っておられます。今日私たちも、その約束をいただいています。

今日までマルコ福音書を1年間読んできました。この先にも物語は続きます。これからも先を歩まれるイエス様に向かって、共に歩みましょう。お祈りいたします。