「シャロームの教え」ルカ3章1~14節

今日はこども祝福祈祷の時を持ちます。こどもたちの立身出世ではなく、平和を実現する者に育って欲しいと願って祈ります。平和は何より大切なことです。そして聖書の平和は戦争をしないという狭い意味ではありません。聖書の平和はヘブライ語で「シャローム」といいます。それはちょうどでこぼこな丸が、きれいな丸の状態になってゆく動作に似ています。みんなが等しく満たされている状態です。

図にも示しましたが、現実の世界はゆがんでいます。自分だけが高く飛び抜けようようとしている場所、低く押し込められている場所があります。そしてイエス様の十字架は低み、一番深い谷、悲しみの底にあります。シャロームとは歪んだ丸がもとの丸に戻るダイナミックな動きです。子どもたちにはぜひそのシャロームのために働く人になって欲しいと願います。

今日の聖書箇所でルカだけが強調しているのが5~6節です。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされるというのは、まさしくこの丸になる、シャロームに近づく動きを示しています。バプテスマのヨハネはシャロームの教えを広めていたとも言えるでしょう。この呼びかけには多くの人が賛同しました。そして人々はそれぞれ聞きました。「私たちはどうすればよいでしょうか?」ヨハネはそれぞれの場所で公正な、誠実な仕事をする様に教えました。神様にも隣人にも、誠実に生きるということが、ヨハネの「どう生きてゆけばよいか」への答えだったのです。

ヨハネは群衆に、下着を2枚持っていたら、持っていない人に1枚手渡すようにと言います。これは貧しい人も、より貧しい人の助けになるようにという教えです。私も貧しいし、私も必要、でもその中から分かち合うということです。バプテスマのヨハネは貧しい者も互いに分かち合い、支え合って生きるようにと言いました。この丸の様にシャロームを目指す、小さくても丸になってゆくことを目指す、そのような働きが、悔い改めた者には起こされるはずだと語ったのです。

そしてイエス様もこの群衆の一人だったかもしれません。イエス様は高い者を低くし、傷ついている人を訪ねました。そしてご自身から十字架へと向かわれたのです。シャロームの実現のために、この地上に来られ、十字架にかかられたのです。

私たちはどう生きればよいでしょうか。聖書にはその答えが書いてあるのではないでしょうか。今私たちの生活は本当に苦しいです。まるで下着が2枚のような生活です。そのような中で私たちはどう生きるべきでしょうか。それぞれが主に尋ねて歩んでゆきましょう。そしてこどもたちが高みに行くのではなく、シャロームの実現のために働く人となるように祈りましょう。お祈りします。